船上に揺れるスリンピ公演

1月の10日間、ジャカルタの踊り手3人と一緒にクルーズ船に乗り込んでの仕事というのを初めて経験した。というわけで、今回はその船上での公演で発見したことを書いてみたい。

この船は旅客定員644名、日本船籍としては二番目の大きさであるらしい。常連のお客様の話では、今回の旅は揺れが穏やからしいのだが、私たちのスリンピ(4人の女性で踊るジャワ宮廷舞踊)公演の日には比較的揺れが大きかったような気もする。もっとも、公演ステージは船の先頭部分にあって、一番揺れる場所ではある。

まず、船の揺れは、椅子に座っているとあまり感じなくても、床に座るとよく感じるものだということを発見。私たちが上演した「スリンピ・スカルセ」は短縮版ではなくて43分(入退場を除く)の完全版なので、合掌するため、最初の3分半くらいは床にジャワ式正坐で座る。さらに途中でシルップという静かな部分があり、踊り手が2人ずつ交互に立膝で座るのだが、これが「スリンピ・スカルセ」の場合は特に長くて、それぞれ8分半ずつもある。座ると、床との接触面積が大きいせいなのか、また床と心臓が近いせいなのか、まさに揺れが床から上半身へと波動してくる感じがする。

しかも床に視線を落としているとなおさらそう感じる。宮廷舞踊では王様と目が合わぬように伏目がちに踊るのだが、床を見てしまうと揺れを余計に感じて酔ってしまうので、視線は5mくらい先をまっすぐ見るようにしよう、と練習のときに皆で言い合うも、いつもの癖でそんなに視線を上げることができなかった。視線を落とすと言う宮廷マナーは、海では通用しないなあとしみじみ思う。

意外に大変だったのが、セレッと言って、足を少しずつずらして重心を移動させる動きだった。船のスタッフの人から、ジャンプが多い舞踊は大変だとは聞いていた。けれど、両足が地面についていても、重心を移動させるその瞬間に、少しでも揺れがあると、バランスを取るのが難しくなると痛感。さらに、そういう危機的(?)な状況で、とっさに取る行動というのは4人とも違っていて、そこにけっこう性格が出る。ぐらっときたときに、その勢いで一気に体重を移動してしまって、あとは手の動きで間をつなぐ者あり、いつもより足をずらせる幅を小さくして、揺れでずれる分と合わせて調整しようとする者あり...。ここでふと、伝説的なプロ野球の稲尾投手が、幼い頃から海で櫓を仕込まれたおかげで、足腰やバランス感覚が鍛えられたというエピソードを思い出す。船上公演の達人になれば、足腰が相当鍛えられるのだろうか?

揺れと一口に言っても、身体の左右に(ということは、船の進行方向を向くか、その逆を向いている場合)、寄せては返す波のように穏やかに反復する小さな揺れだけなら、とても心地が良い。「スリンピ・スカルセ」はスラカルタ宮廷の舞踊なのだが、この宮廷の舞踊には波打つような動きがたくさんあって、椰子の木が風にそよぐさまにも喩えられる。穏やかな揺れなら、振付と船の揺れが渾然一体となって、自分の体が揺れているのか、船が揺れているのかどうかも区別しがたい、恍惚とした境地に陥る。こういう感覚を陸上でも再現できたら、きっと見る人の身体も揺れに同調して、陶酔してくれるに違いない。

この船上での恍惚の境地も、長くは続かないのが残念なところ。波はいつまでも規則的に揺れてくれるとは限らず、さらに、スリンピでは踊り手はしょっちゅう向きを変える。進行方向に対して右側や左側を向いた瞬間に船が揺れると、前後に身体がひっぱられた感じになる上に、重い頭部が振り子のように揺れるせいか、さきほどまでの恍惚感が一気にめまいに変わってしまう。思えば、スポーツジムによく置いてある身体を揺らす器械は、左右には揺れるけれど前後には揺れない。人間の身体というのは、前後の揺れには対応しづらい作りになっているのかも知れない。バランサーとしての手も身体の左右についているし...。

余談だが、この揺れる器械に載って速いスピードに設定すると、足のふくらはぎなどの筋肉が部分的にプルプルするだけだが、非常に遅いテンポに設定すると、胴から腰、足の全体が揺れるようになる。つまり、ゆっくりとした動きの方が全身運動になる。

と、こんな風に揺れに対していろいろと思うところがあるのは、長年習っているうちに、自分が海にいて、視線の先に水平線を見ているような、あるいは自分自身が波に同化したような感覚が、踊っている最中に生まれてくるようになったからなのだ。ジャワ宮廷舞踊にはスリンピ以外にブドヨという9人の女性で踊る種類の舞踊もあるのだが、特にこのブドヨを踊っていると、その感を強くする。たぶんそれは9人という人間が生み出す波動が4人よりも大きいからではないかと思う。別に、ジャワ王家を守護するという南海の女神、ラトゥ・キドゥルの伝説を知っているからそう思うようになった、というわけではない。ふと、そういうリアリティが感じられるようになったという感じである。なので、ほとんど船に乗ったことのない私としては、水平線がどんな風に見えるのか(もちろん線に見えるのだが...)、波がどんな感じに揺れるのか、非常に興味があったのだ。実際に船の窓から海を見ていると、亡き師匠や芸大の先生たち、留学生の人たちと一緒にスリンピやブドヨのレッスンをしていた頃の記憶がよみがえってくる。確かに、あのレッスンの中で見た幻の海をいま見ているのだなと、感慨深いことだった。