「歓声や春夜を破る無事の声」(若木ふじを)
「なぜ生きるこれだけ神に叱られて」(照井翠)
「満点の星凍りても生きており」(森村誠一)
「遠雷や大音響の貨物船」(清水昶)
「生きて疲れて遺伝子狂ひゆく万緑」(関悦史)
書き写しつつ轟音のふるさとで眠る廃炉
(「本気かよ」と高良勉さん〈『KANA』20号、2011/12〉「本気か」〉。吉本ばななさんのツイッターが、〈父は廃炉対策を込めて、引き返せない科学技術を言おうとしたのに〉と弁護している。週刊誌が「意訳」する吉本隆明さんのインタビュー記事なのだと。和合さんの「廃炉詩稿」を聴く。私は電子新聞でそれを聴きながら、福島県人の「反原発」から「廃原発」へという提案を聴き取る。原発難民というのも福島から生まれた悲しい語である。「放射能って、言わないんです。線量とだけ言うの」と福島の人が教えてくれた。放射能をくちに出して言う人が少数者にさせられ、大きなタブーとなりつつある、いがみあいがはじまっていると、あるサイトのニュースにちらりと見える。2月になって、心ない記事が新聞に踊る(切り抜きを見せて貰う)。四歳児の作に、「さわ先生カニに変身あいに来た」せとひろし〈東松島市〉。)