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パスクア(復活の島)とスペイン語は呼んだ
ラパ・ヌイ(大きなラパ)とぼくらは呼ぶ(ラパは別の島の名)
だがいつからここにいるのか、私たちの社会は
伝説が語るのはこの土地のひどい惨劇
すべての樹木を失った後、闘争と食人をくりかえし
島民は焦燥し脅えた目付きで互いの顔色をうかがった
けれどもそれから幾度か太陽が替わり
人々の体格も顔つきもずいぶん変わったように思える
遺伝的にいって自分が何者なのか、ぼくは知らない
言語学的にいって自分の言葉がどの語群に属するのか知らない
ただこの光が明るくみたす土地に生き
ここで公明正大に死んでゆくことを願うのみ
馬が殖えている、かれらも外来種だ
この島に暮らすわれわれのすべては外来種だ
跳躍と静止、夜と昼の連続的交替に
太陽が青く染まる瞬間と未知の故郷を思うだけ
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展望はダイアモンドヘッドの頂上にはじまる
まだあまり人が来ない三十年前のこと
シャンタルとそこに上がって太平洋を見わたした
ザトウクジラが噴く潮を目撃したかったからだ
そのころ彼女の名の由来をそれ以上気にすることはなかったが
やがてShandelというのがイディッシュ語で「美しい」
だということを何かの本で知って
シャンタルとシャンデルの関係を考えるようになった
展望は名前を介して遠い平野にひろがる
(ポーランドの緑の草原にバイソンが群れている
動物たちが野生であるとは人が手をふれえないということ
その移動、食事、生殖、生死に、人は関与してはいけない)
いまふたたびぼくはダイアモンドヘッドの頂上に立って
自分が生涯の食事と生殖のほとんどを終えたことを感じる
シャンタル、シャンデル、名前だけを残して野生に帰った彼女
きみの生涯をここで遠く展望しよう、別れを告げるため