ベオグラードの少女の言う、
「私の生まれてから、国ではもう、3回戦争があった。
戦争って、そんなにひどいものではないよ!
思われるより悪くない。 父が言うように、
人が死ぬのは、そんなに簡単なことではない。
怖がらないで!」(2001年)
「数日間、停電。 冷蔵庫のなかの食料は、ぜんぶ
腐ってしまった。 食事をあたためる、方法がなくて、
冷たい、いろいろを食べた。 高い、建物に住んでいる、老人は
降りられない!」
「私の住んでいる、15階まで、お皿を洗うための
水を10リットル、一人で運んでいった。」
「よかったのは、
この空爆のとき、季節が春だったことだ。
ボスニアの戦争のときは冬で、
経済封鎖でつらかった。
北風は壁を無視しているみたいで、
骨のなかへ直接、はいる。」(ディヴナ)
ディヴナは、古いセルビア語で、「素晴らしい、
神々しい」(形容詞)。 デュシャンDušanは「duša(魂)の
特徴を持つ」。 あの少女が、10年をへて、
男の子の出産です。(2012年1月29日〈夜9時5分〉)
おめでとう! デュシャンのために、
写真を見ながら、作品を書こう。 近く送ります。
今度こそ、平和が世界に訪れる日であるように、
デュシャンのために祈ろう。 去年も今年も、
日本では祈念と喪と、そして新しい誕生日のための、
10年に向かって、動き出せないでいるけれども。(3月3日)
(1999年6月、数十万人の難民が帰宅し、行方不明者の必死の捜査が続けられ、日本ではいま、2012年、帰るなき人々を日本国の大多数の人々が、切り捨てて忘れようとし、喪なきわれらの同胞は洋上に、石のしたに鬼哭している。〈3月15日、南相馬市を訪れ、桜井市長、若松丈太郎さん、総合病院長にお会いしたあと、「警戒区域」(避難地区、立ち入り禁止区域)の検問場所の手前まで、行って参りました。〉)