五月になると復帰から四十年、新聞(うちはとってないけど)、テレビではいろんな特集記事、番組をやっている。実際はちょこっと見て、あ〜こんなものか、と思うと見るのをやめる。新聞は実家に行ったときにちらっと見てそのまんま、読むことはない。こっちに戻って十五年たった。
十五年前、五月に東京から沖縄に戻った。生活するのは二十四年ぶりで、アパートを借りるとき保証人である親の所得証明書が必要と言われた。東京では保証人にそこまで求めらることはなかったので理由を聞くと、借りる人とその保証人までもが家賃を踏み倒して消えることがあるからだと不動産屋のひとは言っていた。実際、生活してみるといろいろ戸惑うことが多かった。まわりのひとは「やっぱり沖縄はいいでしょう」と、同意を求めるような言い方だったので波風たたないような返事をしていた。
小学三年生の娘は自分が復帰を迎えたのと同じ学年。復帰前後に小学校三年生の頃に聴いた父親や母親の戦争の話はそのとき、二十七、八年前のことだった。復帰前後のことをいま子供に話すとなると四十年前のあやふやな記憶になる。
思い出すのは、復帰すると米兵相手に商売をしていたおとなたちはこれからの生活を心配していた。景気が悪くなり、その当時のような買い物もできなくなる、と言われた。でもこどもの関心は1セントを三円に換算することを覚え、お菓子やジュースはどれくらいの円を持っていれば買うことができるかだった。