シリア騒乱と難民

シリアが気になる。

インターネットでは、拷問を受けて殺された子ども達の映像とか、暴行する兵士の動画が流れている。残忍極まりない。僕は、シリアに1994年から1996年まで住んでいた。

確かに独裁国家でいつも秘密警察に見張られているというのはあったが、人々は温かく優しかった。独裁者も父親のハーフェズから息子のバッシャールに変わった時に、元々政治には関心がない眼科医だったし、「温厚な性格」と言われ続けた。アラブの春がシリアにも波及した時、インターネットやフェイスブックで映像が流出することも分かっていながら、どうしてそこまで残忍に弾圧を強化するのだろうか。映像の信憑性はどうなのか? 一体シリアで何が起こっているのか信じられなかった。

4月、僕は、ヨルダンに行きシリア国境の町、ラムサをみた。シリア側の激戦地になっているダラーから5キロほどしか離れていない。闇で国境を越えてくるシリア人を受け入れているのが、バシャーブシャというビジネスマンが解放した5棟のアパートで、ヨルダンの当局が厳しく管理している。ほとんどのシリア人はパスポートも持たずに逃げてくる。ヨルダン人の身元保証があれば、ヨルダンでの滞在が許される。

私が訪問すると、建物の外で、休んでいた人達が、何かを訴えたいのかわさわさと集まってくる。建物の中には着の身着のままで逃げてきた人たちがいた。15畳ほどの部屋に20人が雑魚寝している部屋や、トレーラーハウスに寝ている人もいる。昨年、石巻に入ったときには、まるで戦場のようだと感じたが、今度は逆に、石巻の避難所の体育館を思い出す。一日400人から700人が国境を越えてくる。「昼間はシリア軍が見張っているので、動けません。夜、200人くらいが集まって、50人くらいの自由シリア軍がエスコートしてくれ、歩いて国境を越えました。」まるでパルチザンのようだ。映画「サウンドオブミュージック」のナチスドイツからの逃亡シーンが思い浮かぶ。そして、福島の人たちが、周りからの非難されることを恐れ夜こっそりと家を出て行くという話とも重なった。奥のほうでは、清楚な女性が携帯電話で泣きながら話をしている。汚れ一つない服は周りからは浮いてみえた。「あの人は、昨日来たんです」。(じきに汚れますよ)誰かが説明してくれた。

数日後。タクシーの運転手が話しかけてきた。「私の家の周りにも、シリア難民が何人かいて、何も持たない、食べるものにも困っている。かわいそうなので支援しているんです。見てほしい。そして少しでも慈悲を」と訴えられた。ルッツフィーさんは、60歳くらいで見るからにハッジといういでたちだ。ハッジは、シリア難民の身元保証人になったことから、町内会で、古着とかを集めては、シリア人たちが住んでいるアパートにもって行く。25人くらいが支援対象になっている。

15日前にやってきた家族は、「ビルの建築をやっていました。ホムスでデモに参加したら、警察に逮捕された。43日間、腕を縛られてつるされて殴られた。脱臼したところが癖になっている」。別の男性は、シリア兵に銃剣で腹を刺されたという傷跡を見せてくれた。携帯を取り出し、動画を見せてくれる。「この人は親戚で、拷問を受けて殺されたんだ。戻ってきた遺体をみんなで確認しているところだ。」そばにいた子ども達も一緒に覗き込む。
「6部屋に10家族が住んでいます。ここは、家具も何もないんです。ガスがあるのはこの部屋だけ。」「この人の夫は、怪我した人を手当てしていたら撃たれて死んだ」別の部屋では、妊娠中に国境を越えて逃げてきた若い女性が流産してしまい、マットレスに横になっていた。多くの女性は、むしろ話すことで気を紛らわせようとしていた。一方男たちの目は、恐怖と不安で沈んでいる。

毎日のようにワン切りの電話がかかる。イラン系クルド難民のアザットだ。イラクの難民キャンプで生まれ育ったが、イラク戦争で難民キャンプが破壊され、シリア国境に出来たアルワリードキャンプに収容されていた。4月15日に、UNHCRが撤退してしまい、水も電気も止められたという。シリア難民でイラクどころではなくなったのだろうか?キャンプ内にあったクリニックも閉鎖されたので、治療が必要な患者をバグダッドまで運んできたという。

なんていうことだ! UNHCRが撤退したって? 300人も残っているのに? アザッドは、イラク戦争時は、18歳だった。9年間の砂漠暮らしで、ろくに教育を受けるチャンスもなかったせいだろうか、落ち着きがなく、順序だってうまく話ができないこともたびたびだ。私たちもいらいらしてくる。しかし、アザッドがしゃべらないと誰もキャンプのことを知ることもないのだ。「僕たちのことを見捨てないで欲しい」アザットが悲しそうにつぶやいた。それは、石巻や福島の人たちが言っていたのと同じ言葉だった。

毎日のようにアザッドが電話してくる。お金がないからワン切りだ。かけなおすと「キャンプの8歳の子どもが腎臓がわるい。病院に連れて行くお金がない。車をだしてほしい」という。「わかった。心配するな」また、僕の仕事が一つ増えた。

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