犬の名を呼ぶ(2)

ブリオッシュという名をつけられた仔犬を飼いはじめたのに、高原は一度もその名を呼んだことがなかった。チビだのシロだの明らかに見た目でわかるような名前をその時々で呼んでいるうちに、その仔犬は高原が「おい、お前」と声をかけた時にだけ、高原のほうを振り返るようになった。「おい」に反応しているのか、「お前」に反応しているのか。前半分だけ呼んでみたり後半分だけ呼んでみたのだが、仔犬は見事なほどに反応しない。そして、少し諦めかけた高原が「おい、お前はなあ...」とつぶやくと、その瞬間に仔犬は小さくのどを鳴らして高原を振り返ったのだった。

その日から、といってもほんの三日ほどしかたたないのだが、高原は仔犬の名を呼ぶことをやめて、まるで人に話しかけるかのように「おい、お前」と仔犬に呼びかけるようになったのだった。

相変わらず、この犬を我が家へ放り込んでいった娘と孫は週に一度は様子を見にやってきて、身勝手にかわいがり、一緒なって遊ぶと帰っていく。いま、この犬を「ブリオッシュ!」と正式な名前で呼ぶのは幼稚園に通う孫だけだ。すっかり妻に似てしまった娘などは最初の二文字だけを楽しそうに「ブリちゃん」と呼んで、あとは省略してしまう。妻にいたっては高原を呼ぶのと同じように犬に向かって「あなた」と言う始末だ。おかげで妻が高原を「ねえ、あなた」と呼ぶと仔犬も一緒に駆け寄ってくるようになった。そして、「あなたはどうしていつもそうなの」と妻が仔犬を叱っていると、なぜだか高原も同じように所在なげにしていたりするのである。

そんな高原の様子を面白がって、
「父さんと母さんは、ブリちゃんを真ん中に置いて、うまく会話してるのよね」
と娘は言う。

確かにそう言われてみれば、光景を見ずに言葉のやり取りだけを聞いていると「おい、お前」「ねえ、あなた」と少し枯れた夫婦の会話だけが思い起こされるだろう。

今日も高原は仔犬を連れて散歩に出る。ときどき前を歩く仔犬の背中が右へ左へ、上へ下へと揺れるのを眺めながら「生きているということは揺れるということなのか」などと考えてしまい、その仔犬の背中に「なあ、お前」と声に出して呼びかけてしまう。すると、いかにも若々しくて未発達な、そしてだからこそ立ちのぼるような血の熱さを伝えていた背中の躍動が、高原を圧倒するように大きく見え始めた。高原はその揺れの熱さに呼応するかのように気持ちをゆさぶられ歩くこともままならなくなり道ばたの電柱の陰にそっと寄り添う。飼い主が自分についてきていないことをリード越しに察すると、仔犬は立ち止まり高原を振り返る。その刹那の大儀そうな迷惑そうな表情を見ていると、高原はいつか近いうち何かに引きずられるように、この犬を「ブリオッシュ」という名前で呼ぶことになるのだろうなと思い知らされるのだった。