きまぐれ飛行船(1)

「きまぐれ飛行船」は、1974年3月から1986年9月まで、片岡義男さんが13年間パーソナリティーを務めたFM東京のラジオ番組だ。毎週月曜日の深夜1時から3時まで。番組スポンサーは角川書店1社のみで、片岡さんによれば「CMを取り払うことが可能で、そうすると1時間57分ほどを、番組そのもののために使うことが出来た」という事だった。

片岡さんが作家としてデビューした『野生時代』が創刊され、片岡さんを"売り出す"ために角川春樹氏が企画したのがこのラジオ番組だった。ラジオと並走するように、赤い背表紙の角川文庫が次々と書店に並んだ。ラジオの最終回で片岡さんが言っているように、13年間というのは、高校生でラジオを聴き始めた人が大学生になり、社会人になり、結婚して子どもが生まれるという長さを持った時間だ。

私は高校生だったある日、新聞の番組欄できまぐれ飛行船の「ビートルズ特集」を見て、初めて片岡さんのラジオ番組があることを知った。ほとんど最終回に近い頃にやっと追いつくことができて、数えるくらいしか聞くことができなかったのだけれど、忘れることができない番組となった。深夜1時に、静かに流れていた番組に、ファンは多い。この珠玉のラジオ番組についての覚書を残しておきたくて、今、小さな冊子を作っている。

13年間交代することなくディレクターを務めたのは、柘植有子さんと佐野和子さん。交代することなく、2人の女性が担当したというところが、なんだか片岡さんらしいとうれしくなってしまう。

柘植有子さんにお会いして、当時の事を少しずつ聞いている。柘植さんは片岡さんと同い年。柘植さん自身も「ユア・ヒットパレード」というラジオ番組が大好きだったという。ラジオドラマが作りたくて文化放送に入って、7年半務めた後、フリーになって「きまぐれ飛行船」のディレクターを担当することになった。

番組については、ディレクターが一番覚えているのではないかと思ったが、収録中は、時間内に入るのか、放送禁止になるような事を話していないか(田中小実昌さんがゲストの時などは新宿ゴールデン街の話になったりするので)その後の編集のことが気になって、ゲストの話をじっくり聞いている余裕などなかったそうだ。

「FMfan」のバックナンバーで、オンエアされた曲や、どんなゲストが来たのかを知ることができる。番組の宣伝として、掛ける予定の何曲かと特集のテーマを事前に提出していたのだという。オンエアのリストを見ながら、具体的な話を聞いていく。「ラジオ番組で落語のレコードを掛けるというのは珍しいことでした。志ん朝から、お礼の電話が入ったことがありました。」そんなエピソードが聞けた時には本当ににっこりしてしまう。

13年間いっしょにラジオ番組をつくり続けていながら、柘植さんは片岡さんのプライベートの事をほとんど知らない。片岡さんが、なぜあんなに洋盤(輸入レコード)を持っていたのか、片岡さんのおいたちに立ち入って聞くという事もなかったようだ。そんな事ひとつとっても、とても良いなと思ってしまうのだ。