スマホで撮った記念写真を即メールで送る。DPEで焼いて選んで焼き増しして封筒に入れて送ったりしていたのがずいぶん昔みたい。さくさくさくさく送られてみんなどうしているのだろう。わたしは見るだけ。整理するためのアルバムはずいぶん前から持っていない。自分で撮ったものでも焼いた写真は適当に仕分けして靴の箱に入れてあるしフィルムはほとんど処分、デジタルデータは撮影年月別のフォルダーに入れてあり、必要があって探す以外は懐かしく振り返るために見ることはない。懐かしむことと写真が離れていく。
「アルバム」と言われて頭に浮かぶのは厚い台紙にグレーのヘリンボーン柄みたいな布表紙のものだ。ずいぶん大きい印象があるけれど、小さい手でめくっていたからそう感じるのだろう。表紙には黒と緑のラインと金と銀の小さい四角が数個あって、あのデザインというか柄が好きだった。同じような大きさの厚手のものが数冊あったが、どれも父が文房具店か百貨店かでひとり選んだものだろう。ソファの上に作られた棚からとってもらって、姉と2人、床に置いてめくる感覚が今も残る。
写真の1枚づつに短いコメントがあって、おとうさんが書いたのよ〜とは母に聞いた。ひとりで読めるようになるまでは姉が読んでくれたので、アルバムを見ているあいだは誰かほかのひとに話しかけられているように感じていたと思う。そこに写っているのが自分自身だとまだわからない時分のこと。絵本みたいなものだったのかもしれない。小学生くらいになるとわたしよりも姉の「絵本」のほうがだんぜん多いことにココロをいためるが、20年たちそれは愛情量の比ではないことだけはわかった。
東日本大震災の被災地で瓦礫の中からみつかった写真を入れるアルバムを作って贈ろうというプロジェクトが昨年9月に東京製本倶楽部で立ち上げられた。呼びかけに応えて14カ国200人以上の製本家から483冊のアルバムが事務局に届いたそうである。今年3月には岩手県立美術館と大船渡市民文化会館で展示会があり、最終日にはアルバムを希望する大船渡市民の長い列ができたと聞いた。
集まったアルバムを写したビデオを見た。アルバムであること以外しばりはないのでさまざまだ。革や木の皮に切れ目を入れて表紙の開きを良くしたり留めたホッチキス針で手を傷めないよう保護したり、表紙のおさまりがよくなるように小口に細工したり凹凸に折った紙に細い紙を通して綴じたり、タマネギのように紙を交互に組み合わせて綴じたり。思いもよらない刺激を受けて、普段得意としている材料や技やデザインが一人ずつの体からチューブのはみがきみたいに気軽に出てかたちになっている。作品展でもコンクールでもなく、時間もなかったからだろう。483人がどこかでそれをめくっている。