気まぐれ飛行船3

ラジオ番組「きまぐれ飛行船」で片岡義男の相手役を務めた女性は2人。安田南と温水ゆかりだ。どんな人なのか「謎」のまま、片岡と対等に会話する女性としてそれぞれ多くのファンを獲得した。

番組のスタートから1980年5月まで、初代の相手役は、安田南。西岡恭蔵が作って、たくさんの人に歌い継がれている「プカプカ」という曲のモデルとして有名なジャズ・ボーカリストだ。「俺のあん娘はタバコが好きで、いつもプカプカプカ」という詞の通り、今見ることができる彼女のポートレートでも、指先にタバコを挟んでいてかっこいい。

1970年代の日本で女性ジャズボーカリストでいるという事はどんな気がしたのだろう。「You Tube」で聞ける彼女の唄声は、率直で少女のようだ。素直に伸ばす声が、ジャズを童謡のようにも感じさせる。その印象はあながち間違ってはいなかったようで、1976年5月31日の放送の記録では「安田南がハートから唄う」のタイトルのもと、「サニー」、「フライミー・トゥー・ザ・ムーン」に続き「赤とんぼ」という曲名が並んでいる。童謡を歌っても、英語で歌うジャズのスタンダードナンバーがそうであるように、何物にも似ていない、日本から遠く離れた印象の歌声だったに違いない。

番組のディレクターであった柘植さんによると、相手役として安田南を推薦したのは片岡さん自身だったという。安田南を知らなかった柘植さんは、出演しているジャズクラブまで彼女を見に行ったという。ラジオのパーソナリティとしては無口だし、向いているようには感じられず不安だったという。片岡が安田南を推薦する意図は明確には語られなかったようだ。いずれにしても、片岡は、相手役としてラジオ局のアナウンサーを選ばなかったということだ。

安田南の媚びない自由な振る舞いは、リスナーを魅了した。「You Tube」で「眠れ、悪い子たち!」とエンディングの挨拶をしている彼女の声を聴くことができる。当時、多くの男の子たちがニヤリとしたに違いない。
安田南が体調を崩し、番組収録に来られないことが続いた後、1980年6月2日の回から相手役は、温水ゆかりに交代する。温水ゆかりはフリーライター。彼女についても詳しく語られることなく、謎の存在のまま番組は進んでいったようだ。

「きまぐれ飛行船」の小冊子のためのインタビューで、温水さんに当時の事を伺った。フリーになったばかりの頃、雑誌のためのインタビューで初めて片岡と会い、後日片岡さんからの電話でラジオ出演の依頼を受けたという。「片岡さんは「......して下さい」と命令形の日本語を使う方じゃないでしょう。やりませんか、という提案をいただいたという感じでした。」という事だ。

そして、温水さんを相手役に選んだ理由としては、「たぶん、アナウンサーの方だとアシスタントに徹すると思うのです。片岡さんは女性に主人公になってほしい人だから、私がメインになって、その女性に振り回される片岡さんというのが好みの役どころだったのではないかと思います。片岡さんが何をおっしゃるか分からないし、台本も何も無くて、独特の間があったとしたら、ハトが豆鉄砲くらってキョトンとしていたという事です。」と静かに笑いながら教えてくれた。

宮崎なまりを気にしていたけれど、依頼を受けたことについては、「「え。私で良いのですか?」と聞いて、「良いのです」と言われて「でも私は嫌です」と言う人はいないでしょう?」という事だった。温水さんも腹のすわった人なのだ。

温水さん自身は、番組の中でどんな役目を果たそうと思っていたのか聞いてみた。
「片岡さんに「何を望んでいますか」なんて聞いたことはないですけれど、その時代において輝く存在の女性であってほしいと期待されていると感じてはいました。でも、「期待には応えられない、だってこれは片岡さんの番組だもの」と思っていました。片岡さんが当時素敵だと思っている女性は、「英語ができて」「運動ができて」「自立していて」というものだったのです。それを聞いて「どぇー」と思ったのを覚えています。(笑)せいぜい近いのは自立だけで、それも自活程度のことで...。片岡さんがおっしゃる「自立」というのは、日本的な言われ方ではなくて「何物にも囚われない、英語のインディペンデンスの意味だったと思います。」という答えが返ってきた。

温水ゆかりも安田南と同じようにインデペンデンスな女性だったに違いない。インタビューのあとの雑談のなかで、温水さんと時代についての話をした。彼女の言葉の端々から、意志をもってフリーで(独立して)仕事をしてきた人の姿を感じることができた。

「きまぐれ飛行船」の相手役として片岡義男が(たぶん直観で)選んだ2人の女性は2人とも独立していて、話し方や存在感(声)で「きまぐれ飛行船」に魅力を加えていたのだと思う。そして2人とも、パーソナリティを務めたのは唯一「きまぐれ飛行船」だけだったというのは、何て贅沢なことだったのだろうか、と同時に何てシックな人選だったのだろうかと思う。