オチャノミズ(その5)

荘司和子訳

オチャノミズとはうまい茶をいれる水とかなんとか、そのような意味だそうだ。そのオチャノミズにも時が流れていって、そこは楽器、スポーツ用品とくにスキー、それから古書、文房具などを売る店の入ったビルがびっしり並んだところになっている。20年ほど前は戦争や社会問題への抗議、反対と書かれたのぼりやプラカードでいっぱいだったが、現在はそういったものは影をひそめてしまった。その当時の世代はすでに親になっていて、そのこどもの世代がここを行き交っているのだ。

オチャノミズは若者たちの街で、20年前3、4人の友人たちがあの場所に立っていたときとちっとも変らない活気あふれる雰囲気に包まれている。友人たちはその後もそこに立ったに違いない。そして店から消えていくことのない楽器を見つめたことだろう。店には毎日人が来て売ったり買ったりがあっただろうが、それはさらに輝きを増し値段は高くなった。信じられないほど高いものもあるのだ。彼らにはとても手が出ないものだった。だからといって惹きつける魔力が消えることはないのだ。

久しぶりに見るオチャノミズはなにもかも昔と同じだ。彼らもきっとまだミュージシャンで旅をしながら歌を唄って、人びとに見たこと聞いたこと、経験した色とりどりのものがたりを語って聞かせていることだろう。

違っていることといえば、歳月は誰にも容赦なくて、彼らが歳をとったことだろう。今も老齢の男性が4-5人楽器に惹かれたように見入っている。少年たちがそこを通り過ぎて行った。が、何人かはがまんできずに戻ってきて見ている。

なぜならばオチャノミズでは、このような光景は普段めったに見られないからだ。(完)

(2005年「週刊マティチョン」掲載)