しもた屋之噺(130)

目の前に美しい満月がぽっかり浮んでいます。まだ落葉が始まらない庭の大木の枝葉の影から、薄氷のように棚引く雲の淡い白が、こぼれるような月の明るさを際だたせます。沸き立つように溢れる光が、漆黒の夜空全体にひろがる姿は圧巻で、行灯の色はこんな月に憧れて生まれたものでしょうが、柔かく淡い色合いと思い込んでいたのはまったく見当違いだったことを知りました。ここ数日めっきり冷込みが厳しくなり、夜明け前の外気は0度を下回るかも知れませんが、目の前の庭では小鳥が静かにさえずっています。

昨日レッスンに出掛けると、普段は笑顔で迎えてくれるサンドロの表情が少しくぐもっていて、「今朝ルチアーナが死んだのは知っているかい」と重たい口を開きました。ルチアーナとはルチアーナ・アッバード・ペスタロッツァのことで、彼女はミラノのみならずイタリア現代音楽界の母親的存在でした。クラウディオ・アッバードの実姉にあたり、長きにわたりリコルディ出版の責任者として作曲家との密な関係を培って、それが結果としてミラノ・ムジカ現代音楽祭の開催に至りました。その後経済不安定なイタリアにあって、持病の喘息を患いながらも、いつもせかせかと音楽祭の資金調達に奔走した姿が目に焼付いています。
彼女にはとても気にかけて貰ったので、今年に入ってルチアーナがすっかり元気を失い、廃人同様の生活を続けていると聞いたとき、電話すら出来ないもどかしさにやりきれない思いをしていました。

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10月X日18:00自宅にて
スイスの片田舎で、教会や集会場、山や林など、村のあちこちで開催される小さな演奏会を数日間かけて皆で転々とめぐる、「天の川」という自然派の音楽祭をしているマリオから連絡あり。グリゼイが子供のオーケストラのために書いた作品を、一週間のワークショップをしながら作り上げるという。懐かしくなり、数年前の「天の川」のヴィデオを眺めた。
林にスタンウェイを持ち込んで、メシアンの「鳥の小スケッチ」を聴く。切り株に腰を降ろす人や地面に坐る人、寝転がって天を仰ぐ人など、皆思い思いに耳を傾ける。向こうでは子供が林のなかを楽しそうに歩いている。フランチェスコが丘の真ん中にチェロを持ち出し、「4分33秒」を演奏している。鳥のさえずりや家畜の声に交じって遠くの教会の鐘が聴こえ、どこかで芝刈りをする低いモーター音もかすかに聴こえる。「バッハとせせらぎ」では、渓流にかかる橋の下で2本のリコーダーが「音楽の捧げ物」を吹いている。聴衆は橋の上からせせらぎと一緒にリコーダーの響きに耳を澄ます。

10月X日16:00ミラノに戻る車中にて
久しぶりにトリノへ出掛ける。トリノは現在イタリアで最も近代的な都市に違いないが、一歩辻を入れば昔のままの落ち着いた佇まいが残る。
RAIのパオロとアントネッリアーナの塔の足元で会った。彼の出版業務の契約は7月から滞り、オーケストラ業務の契約の更新も立ち切れだと苛立ちを隠せない。イタリア経済はすでに奈落の底まで落ちたから、この状況下で文化予算が削られるのは当然ながら、例え今後経済が盛り返しても、以前のように文化を尊重する時代は戻らないとまで断言する。早く彼の契約が更新されないと、かかる悲観主義があちこち伝播しそうでこわい。
久しぶりに会ったルカは、別れた奥さんと暮らす高校生の娘が、今日の学生デモに参加していないか、巻込まれていないかと気を揉んでいて、忙しなく奥さんに電話をかけている。一本通りを隔てた向うでは、高校生たちが警官に撲られて怪我人まで出たそうだ。国外で評価高い現モンティ政権の、文化予算および教育予算削減に対する若者たちのジェスチャー。街のあちこちに警官が溢れている。

10月X日01:00自宅にて
マンゾーニが9月26日で満80歳になったことを祝って、この時期どこでも賑々しく彼の作品が演奏され、とてもめでたい。昨年はブソッティがその栄誉に浴した。ミラノ国立音楽院で催されたジャコモの80歳記念演奏会の発起人、詩人で音楽学者のルイージ・ペスタロッツァは、演奏会前日の朝に長年連れ添った奥さんを看取ったばかりで、葬式も終わらぬまま演奏会に来て、悄然とした表情ながら司会までこなした。
長く昏睡状態だったミキの余命が時間の問題なのは知っていたけれども、やつれた表情ながら演奏会にルイージの顔が見えて安心したのも束の間、挨拶に立ったジャコモが、「昨日伴侶を失ったばかりルイージに心からの敬意と謝意を」と切り出した。驚いて隣のマリゼッラの顔を見ると、「そうなのよ」と辛そうに肯くばかりだった。

10月X日19:00トラム車中にて
寿司詰めの路面電車で家に戻る途中、労働者風のペルー人男性が、乳母車の赤ん坊をあやしていた。
「ほらほら、泣かないで、泣かないで。あのおばさんを顔を見てごらんよ」。
余りに純朴な愛情に心を打たれて、思わず涙がこぼれそうになる。

10月X日20:00自宅にて
子供の頃から聴きたかった悠治さんのテープ作品「タイム」と「フォノジェーヌ」を、ひょんな切欠から耳にする機会に恵まれる。願っていれば何時かは叶うものだと妙な感心をしつつ、ゾクゾクしながら再生すると、想像通りの豊かな音楽。意外なほど想像していた通りの音が聴こえてきた。この頃の電子音は、どれも独特の豊かな響きをもつのは何故だろう。
全く違うはずなのに、もうずっと耳にしていない「オルフェカ」の響きを懐かしく思い出す。「オルフェカ」は昭和44年、自分が生まれた年に書かれた。
テープ音楽で聴きこぼしているのは「冥界のへそ」だけれど、これも何時か聴く機会が巡ってくると楽観を決めこんでいるものの、中学生の頃から心待ちにしてきた「カガヒ」や「ニキテ」に至っては、昔渋谷ヤマハの地下で購入したペータースの楽譜が今も実家のどこかに眠っているはずだから、自分で演奏の機会を探す方が早いかもしれない。
「ブリッジスI」のチェンバロ・パートなど、中学生の頃弾けないピアノを叩いてよく遊んだ。「毛沢東」と同じように、単旋律で一見簡単そうに見えるが、無論実際には弾けない。オーボエの「オペレーション・オイラー」の楽譜は、どんな音がするか見当もつかぬまま、無邪気に重音の羅列に憧れていた記憶がある。「オペレーション・オイラー」が書かれたのは昭和43年だから、自分が楽譜を眺めて暮らした頃まで13、4年しか経っていない。悠治さんの手書き譜は、悠治さんの筆跡そっくり。
家人曰く、カリアリで弾く悠治さんの「花筐2」を用意していて、ブソッティの「ブリランテ」と並べると、二人の作家が思いがけずしっくりくることに驚いたという。縦割りではなく、身体がゆれるような伸縮するテンポ感と強い表現力が共通するそうだ。

10月X日16:00ミラノに戻るイタロ車内
フィレンツェから戻る車内。昨日かの地で思いがけなくカザーレと再会し、ボッカドーロと初めて話す。
カルロに「君のことは昔からよく知っているよ、数え切れないほど演奏会にもいったもの」と言われ、すかさず「昔から君のことはよく知っているよ。数え切れないほど録音を聴いたもの」と返して、二人で大声で笑う。自然体の音楽。人工的でなく、構築されたものではなく、彼の身体からふと生まれたままの音楽。純粋で活き活きした文字通りの「音楽」。
ウフィーツィ裏のネットゥーノの噴水でフランチェスコと落ち合い、本屋二階の喫茶店で話す。
「10年前は今と違って何もかもがもっと自然だった。音楽さえ良ければそれなりに食ってゆけたが今は違う。ごった煮の大鍋それも闇鍋状態さ。由緒あるこの本屋も店じまい。文化の価値は、最早紙切れの重さすらない」。

10月X日08:30ヴェニスに向かう車中
明けきらない朝の薄霧を列車はひた走る。中央駅に向かう路面電車の車中、小さな懐中コーランを熱心に読む若者に出会う。イスラム教は好きでも嫌いないし、判断が下せるほど理解もしていない。
最近息子が小学校から持ち帰る国語の宿題は、例文を10回、20回と繰返し読むというもの。週に一回はテキストの暗記もある。イタリア語は語尾まで明確に発音しなければ意味が分からないので、書いてある文字をすべて読む感じになる。息子も当初は怪しげに語尾を発音していたのが、毎日やっていると随分しっかりしてきた。フランス語が違う綴りでも同じ発音になるのとは正反対だ。
イタリアの演奏解釈がとにかく楽譜に忠実に演奏するのに比べ、フランス音楽やフランスの音楽解釈は色彩的で自由な印象があることや、イタリア人が下着までアイロンの掛かった糊付けのきつい洋服を好むのに比べ、フランス人がわざとルーズな着こなしをする感じに似ている。

10月X日20:00自宅にて
秋の雨模様のヴェニスを歩くと、思いのほか身体が凍えるのは海の上だから当然か。小さな無蓋ボートで移動しているヴェネチア市民は、極寒の真冬にはどうするのだろう。たとえ天井を張ったとて相当寒そうに見える。
約束まで少し時間があったので温かい紅茶でも飲みたいと思うが、目抜き通り近くには全く目ぼしい喫茶店がなくて途方に暮れた。暫く行くと、鄙びた感じのハム屋があって、「サンドウィッチ3ユーロ」と無造作に書いてある。覗いてみてもただの普通のハム屋で、観光客を寄せ付けない雰囲気だ。さしあたっての希望は温かい紅茶だったので、一度はやり過ごしたが、どうにも気になって結局敷居を跨ぐと、思いがけず感じのよい初老の主人と話が弾む。
「おお、うまいね、このモルタデルラは、流石に味が濃いね」。
「うちは利益を顧みないで美味いものだけ置いているのがわかったろう。安い肉にニンニクと香辛料を利かせてごまかしたモルタデルラと一緒にされちゃあ困る。モルタデルラとチーズを挟んだ栄養満点のこのサンドウィッチは、昔はこの辺りの貧しい連中の定番の昼メシだったのさ。ゴンドラ漕ぎなんて、昔はみな貧乏だったから、当時はこれが彼らの定番だった。今の若い連中ときたら、すっかり金持ちの仲間入りで燻製肉やら何やら、脂っ気のない肥えないようなものばかり喰って、外面ばかり気にしていやがる」。
主人の話は全く止まるところを知らず、経済が回っていないと、酷い緊縮と増税を断行するモンティの経済政策の批判にも及んだ。元をただせばユーロの導入と、当初のリラとユーロの換金率が間違っていたという。今にしてみれば誰でも思うことだ。
「この一年は頓に不況さ。食べ盛りの子供二人くらい連れた家族が入ってきて何を頼むかと思えば、何も挟んでないコッペパン一個だったりすることが度々ある。家族4人の昼食がコッペパン1個さ。余りに世知辛いと思わないか」。

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「おい、ヨウイチじゃないか」。
打合せが終わって通りに出ると、目の前をアンドレ・リシャールが夫人と散歩していて互いに驚く。4年ほど前ジュネーブで会って以来の再会。彼はノーノの助手だった人で、暫く前までフライブルグの音響スタジオを仕切っていて、ノーノのプロメテオをやったときに一緒になり、互いにとても濃い時間を過ごした。ヴェニスのノーノ資料室に明日までいるそうだ。
「イタリアは大変だよなあ」。
しかし、誰かが違う台詞を発しない限り、この国はこのまま沈んでしまいそうな怖さを感じる。そんなことを思いつつ、人一人が漸く通れる細い路地に歩を進めて、サンタ・マリア・デル・ジーリオの汽船乗り場へと向かった。

10月X日18:00自宅にて
ブルーノ・カニーノの愛娘、ヴァイオリンのセレーナと話していて、ブルーノの話しになる。
「父は毎年草津の音楽祭にゆくと、何でも日本の皇后さまにピアノの手ほどきをしているそうよ」。
セレーナは顔立ちも話し方も父親そっくりで、深い眼差しで覗き込むようにじっと相手を見つめるのが印象的だ。父親と一緒で、テクノロジーにはてんで疎いと言い、使い込まれた古い携帯電話を取り出してみせた。
彼は何時練習するのと尋ねると、手が空くと何時でもピアノに向かっているという。
「練習していないとすぐに退屈してしまうのよ」。

(10月31日ミラノにて)