唐突だが、今月はバティック(ジャワ更紗、ロウケツ染め)について書いてみる。バティックというと日本の着物と同様、晴れがましい日の装いというイメージがあるのだが、私にはお葬式でのバティックがとても印象に残っている。私の舞踊の師匠、ジョコ女史が亡くなったとき、私は亡くなった夜から次の日にお葬式と埋葬が終わるまでずっと師匠の一族一同と一緒に過ごした。お葬式はジャワ・イスラム式で行われた。
お葬式の朝、カマル・マンディ(浴場)で師匠の子供たち3人が並んで座り、師匠の亡き骸を数枚のバティックで包んで抱きかかえながら、水をかけて体を洗う儀礼があった(子供は全部で4人いるのだが、規定で3人ということかもしれない)。日本の湯灌みたいなものだ。そして、洗い終えて体をぬぐうと、また別の数枚のバティックで亡き骸は覆われ、居間に寝かせられた。この後、イスラム教徒として全身をすっぽり覆う白装束への着替があったのだが、師匠の家にある古い写真では、イスラム教徒でも昔はバティックの正装で棺桶に収められ埋葬されていたようだ。最近は「正しい」イスラムの教えが広まったので、白装束にするらしい。湯灌にはバティックを使うのが習わしだと聞いた。柄に決まりはないように見える。最後に白装束になるなら湯灌の衣装は何でも良さそうなものだが、バティックという点に土着信仰が残っているのかもしれない。
ジャワの民間信仰として、病人にバティックを掛けると病気が治るというものがある。それが「父親のバティックを掛ける」だったり、また「バティックを掛けてキドゥン(詩歌)を朗誦する」だったりと伝承に多少の幅はあるが、バティックに病気を治す呪術的な力があると考えられていたことは間違いがないだろう。死者に着せるのも、悪霊から守るといったような呪術的な意味があるのかも知れない。手作業でロウケツ染めをしていた時代には、バティック制作の過程で布にものすごく念が込められていたのかも知れない。
私の手元にあるバティックの本は、どれも一連の結婚儀礼とそれで使われるバティックの意匠や吉祥文様の意味などについて詳しく書かれているけれど、葬式儀礼や病気平癒のためにバティックが使われるという点については触れられていない。それは、不吉なことゆえか、バティックの柄について細かな決めごとがないから本にするまでもないのか、取るに足りない民間習俗だからなのか...。
ジャワの王宮儀礼で見られるさまざまなバティックの美しさも忘れがたい。けれど、あの亡き骸を包んでいたバティックに、ジャワ人のバティックへの思いが凝縮されているような気がする。