ポフウェル氏に初めて会った日は寒かった。1998年、ちょうど今時分のことである。とうもろこしのなわばり争いで荒らされた農場の後始末などをやっていた某の縁でカメレオンの耳に音色を移植したり、てんとう虫の水玉模様が舞い上がる街からひげを盗んだり、鼻血をふいたり、水曜日を出前していた。「gui」という同人誌の縁だった。一目見て惚れた。「gui」は1979年に、藤富保男、奥成達、山口謙二郎が始めた同人誌で、創刊以来、B6判のかたちを守る。ポフウェル氏に出会った時の表紙は高橋昭八郎によるもので、2ミリあきの銀色の線が美しかった。
翌年1月、ポフウェル氏に再会する。言水制作室による『ポフウェル氏の生活』に彼の日記があったのだ。左右150ミリ、天地210ミリ、発行日は1998年12月31日とある。菜の花を見てたらぼくだって黄色いのさとコーンスープに肩をたたかれた、なんて書いている。暮らしぶりは変わらずそんなようなものだった。地蔵を現世につれもどしたりタンチョウヅル夫妻に舞踏の手ほどきをうけたり、平行四辺形の気まぐれに翻弄されたりバターに包まれ眠っていた。日記は短いものだった。彼の生活は日記で読むと、作り話のように響くと思った。
生きていれば惚れた人に会う機会もまたオマケのようについてくる。今年11月、左右108ミリ、天地175ミリ、Luluというオンデマンド印刷による『ポフウェル氏の生活 百編』に乗ってポフウェル氏がイギリスからやってきた。つるっつるの表紙に青い針金のハンガー、青みがかったなんてことない本文紙という衣装が抜群に似合う。奇数ページに四角くなって現れる。相変わらずみかんのスジをとる仕事を老後のアルバイトにしようと考えていたり雪にアイロンをかけている。オラウータンの含み笑いに墨を塗って半紙に写したり、新婚夫婦に回覧板を回してもいる。エアーズロック大学のてっぺんで誰も知らない化学反応を実現させた過去を懐かしく思い出して、100になった。赤いコートが似合う詩人・南川優子の伴走を続けるポフウェル氏である。