片岡義男さんがパーソナリティを務めたラジオ番組「きまぐれ飛行船」。番組ディレクターを担当した柘植有子さんと『FM fan』に掲載されたオンエアリストを見ながら13年間を振り返ってお話を聞いた最後に、柘植さんにとってラジオって何ですか?と質問してみた。
例えばラジオドラマ。
「あ、雪ね。」
「彼来るかしら?」
こんなセリフと効果音だけで、雪が降ってきた様子、彼を待っている女性の姿を想像することができる。しかも思い浮かべるものは聞いた人それぞれで違う。セリフや効果音だけでイマジネーションを膨らませてくれるもの、それがラジオだ。テレビドラマだったら、雪の光景も女性の姿もひとつの具体的なものでしかない。ラジオはそれを聞く人それぞれが違うイメージを自由にもてるものだ。
柘植さんが即興で語ったラジオドラマのなかのセリフは、早速私の目の前に雪を降らせた。生放送全盛時代、ディレクターがQを出しながらDJを務める「アナデューサー」という役割があって、柘植さんも担当したことがあるということだが、柘植さんの語る言葉も耳に心地よい。
でもラジオも変わってしまったわね。自分の夢(妄想)を託せる余地のある声を持った人が少なくなってしまった。
「きまぐれ飛行船」も柘植さんがこだわる"ラジオの良さ"を持った番組だったという。そして、パーソナリティが片岡義男さんでなかったら、あのような番組にはならなかったかもしれないという。良く見せようとか、盛り上げようとか、押しつけがましいところが一切無かった。ぽーんと飛んだら風まかせ、天気まかせの、飛行船。80日間世界1周の気球ではなくて、ツエッペリン号の小さいやつ。
「きまぐれ飛行船」というラジオ番組を成立させていた時代は去ってしまった。ラジオを愛する人も少なくなってしまった。「声」に静かに耳をかたむける時間は、なぜ可能だったのか。
柘植さんが『映画館へは、麻布十番から都電に乗って。』(高井英幸著/2010年・角川書店)という本を紹介してくれた。そのなかに印象的な言葉があった。「今と違って映画は映画館でしか観られなかった。たくさんの映画を観ることは、たくさんの映画館とめぐり逢うことでもあった。映画は絶えず映画館の印象と共に記憶された。」
録音方法も無く1回きりの放送に耳を傾けていた時、新しい音楽との出会いがラジオからしかなかった時、ラジオは今よりもずっと特別な存在であったに違いない。「きまぐれ飛行船」の想い出は、番組が流れた時代の印象とともに記憶されている。
*きまぐれ飛行船を特集した『Raindrops』No2が完成したら希望者に差し上げます。
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