初めてちゃんとした台所のある部屋を借りたバンコク生活。自炊生活はなかなか楽しい。わが家の食生活は、日本では豆腐やお揚げさんが要であるが、バンコクにおいしい豆腐は売っているのか。日系スーパーなどでいろいろ試しているうちに、これはおいしい、と思える豆腐を二か所で見つけた。
ひとつは、エカマイ通りにある日本料理屋「黒田」の売店部門で売っている豆腐である。黒田は、自社農場を持ち、豚肉や無農薬野菜が売りだ。たまにここでコロッケ定食を食べるのが密かな楽しみなのだが、ここで定食などについて出てくる冷奴は、どうも売店部門のものとは違ってあまりおいしくない。
それでも売店部門の豆腐は、豆腐の味にはとことんうるさい京都人も納得のお味。やや固めの木綿豆腐。ちなみにここで売っている自家製梅干しは、他の日系スーパーなどで売っている梅干しのどれよりもマシではあるが、ヒバリにはどうも食指の動かない味わいである。味が果物っぽいというか、梅を完熟させてから漬けているのかしらん。中国やタイ北部産の梅の実の味のせいなのかなあ。
エカマイ通りには、住んでいるウドムスックからBTS高架鉄道に乗って行かねばならない。しかも売り切れの日もある。食べたくなった時にちゃっと手に入る、近所の市場でそういうのが売っていたらな〜、と思ってはいた。市場でも豆腐関係はふつうに売ってはいるのである。しかし、売っているのは、何種類かあるがどれも調理用の水分の少ないカチカチの豆腐か、厚揚げもどき、かたい湯葉である。どれも中国系の豆腐で、野菜と炒めたり、煮込んだりする。生で食べるものでもないし、残念ながらこれらの豆腐類をおいしいと思ったことは、ほとんどない。
円筒形のビニールチューブに入ったやわらかい充填豆腐もあることはある。この豆腐を輪切りにして、肉団子と春雨を入れたスープがゲーンチュート・タオフー。これはわりとポピュラーなタイ料理で、辛くなくて比較的あっさりしているので、日本人には人気の一品だ。たっぷり入るチャイニーズセロリの香りが決め手。しかしこの充填豆腐も、生で食べようという気にはならない、という味である。同じメーカーで、黄色くつるんとした卵豆腐もあるが、どうもタイ人は白豆腐も卵豆腐も区別はしていないようす。味はかなり違うんですけど・・。
日本の豆腐の味を求めるならば、やはり日系のスーパーや食材店に行って、タイで日本人が作っているものを探すしかないのが、タイの豆腐事情なのである。ところが、ある日夕飯をバンコク在住の友人(甘党)と近所のクイティオ(タイの麺類)屋で軽く済まし、コンドミニアムの前の歩道にずらっと並ぶお持ち帰り屋台を冷やかしていたとき、思わぬところでふたつ目の及第点豆腐を発見したのであった。
「そういえば、おいしそうなドーナツがあったよ」友人をさそってドーナツを売っている屋台を覘く。そこは、ドーナツ屋さんではなく、ナム・タオフー(豆乳)屋さんである。タイの豆乳屋というのは、温かい豆乳とパトンコーという油で揚げたパンみたいなものをメインに売っている。このスナックセットは、朝ごはんか夜食に食べるもので、したがって早朝か夜しか豆乳屋は開いていない。パトンコーは中国では油條といい、もともとは中国系の食べ物だが、タイ人も大好き。店によっては、パトンコーを揚げる油でついでに豆乳ドーナツなんかも揚げていたりするわけだ。
ドーナツの横には、ビニール袋に入った柔らかそうな豆腐も並んでいた。「あ、ここ豆腐も売ってる!」「ああ、タオフエイですね。ほら、生姜のきいた甘い汁をかけて食べるやつ。ぼく、これも買おうかな」「あ〜、あの甘い奴か‥」
タオフエイは、お椀に盛ったやわやわ豆腐の上に生姜のきいた甘い熱い汁をかけ、カリカリの天かすを浮かしてレンゲですくって食べる甘いおやつだ。これは家で作るものではなく、屋台で買って食べるもの。タオフエイは、中国の豆腐脳(トウフナオ)の変形かと思われるが、おやつとして甘いバージョンが中国にあるものなのかも。
豆腐脳とは、熱い豆乳ににがりを打って固めたばかりのやわやわ豆腐に醤油とラー油をかけ、パクチーを乗せて食べる、中国の朝ごはんである。押しをしたり、水を切っていないので、ふわっとした食感の温かい出来立て豆腐だ。初めて行った中国上海で、唯一おいしいと思ったのがこの豆腐脳と目の前で作る皮の厚い餃子だった。ただし、タイでは甘いタイプしか見たことがない。専門店もあるが豆乳屋台でよく一緒に売っている。
ここの屋台はお持ち帰り専門なので、甘党の友人につられてタオフエイを頼むと、豆腐と生姜汁とを別々の袋に入れて渡してくれた。大きな鍋から注がれた生姜汁は熱々でたっぷりとある。部屋に戻ってまず生姜汁だけ味見してみると、日本の生姜湯そのままで、大変おいしい。甘さもほどほどだ。これはいい。そうだ、なぜこれを豆腐にかけなきゃいけないのだ。豆腐を甘くして食べるのはやっぱり馴染めない。そのまま生姜湯として熱いうちに啜り、ほっこりして寝た。
豆腐のほうは、ビニール袋に入ったまま冷蔵庫に入れて忘れていたのだが、翌々日、はたと思い出し、一応味見してみようと匙ですくって口に入れてみた。あれ? なんか‥おいしいんですけど。しかも、甘くするよりぜったい醤油味が合う味ではないか。さっそくネギを刻み、しょうゆを垂らす。こちらは黒田の豆腐とはちがって、やわらかくトロンとした寄せ豆腐タイプ。う〜ん、冷奴がぴったり。まったく期待していなかった、生姜湯のおまけのような豆腐がこんなにうまいとは申し訳ないほどだ。しかも、わずか十バーツ(27円)。
タオフエイの豆腐を甘くない状態で食べたことが今までなかったので、気が付かなかったが、生姜汁に浸す前の豆腐は、生豆腐として普通においしいものだったのである。日本人は豆腐を甘くするという発想がほとんどないので、醤油をかけて食べる豆腐と、甘い汁をかけて食べる豆腐が同じものだとはなかなか思えないのだろう。どうも、タイ在住日本人のほとんどがタオフエイの豆腐が豆腐としておいしいと気付いてないようである。タオフエイを豆乳ゼリーなどと説明してあるタイ食文化の本もあるぐらいだし。
というわけで、ウドムスックでの豆腐生活はすっかり充実したものとなった。近所に二軒あるナム・タオフー屋の奥のほうの店は、タオフエイもドーナツもあまりおいしくなかったので、店はちゃんと選ばなければならない。でも、豆乳屋台はタイ中、至る所にあるので、おいしい店を見つけるのはそう難しくないだろう。タイ在住の豆腐好きたちよ、ナム・タオフー屋台を目指せ! お持ち帰りは、くれぐれも豆腐と甘い生姜汁とを別々の袋でね。