製本かい摘みましては(87)

ただいま朝の通勤電車はほぼ毎日座り中。25分本を読んだり眠りこけたり。終点近くでこの地下鉄は一瞬地上に出て、夏は強烈、冬は深く車内に光が入り込む。うたたねしてても大丈夫、たいてい誰もがこの光で目を覚ます。目覚まし時計は音ではなくて光を発したほうがいいと思うがどうだろう。

左親指をそっと触れて頁をめくるスマフォ読書時間も増えた。シャカッツ、シャカッツと頁は一瞬で変わるが、んんん〜〜〜んと、ためにためてゆっくりめくるのもおもしろい。このごに及んでどの読書アプリも「めくる」感じを採用し、またそれが一番読みやすいと感じるこの体が可笑しい。

読むのはほとんど青空文庫。三遊亭圓朝の『真景累ケ淵』や樋口一葉の『たけくらべ』、芥川龍之介の『秋』に海野十三の『蠅』などなど、青空文庫とアプリとスマフォと着席通勤の環境がなかったら一生再び読むことはなかっただろう。ありがとうをひとりごちて、永嶺重敏さんの『モダン都市の読書空間』を読み直す。

第一章 モダン東京の読書地理/四 読書装置の郊外化/3 通勤読物の発達。通勤大衆の「寸刻を争ふ読者意識」(『大阪の新聞売子』大阪市社会部調査科 昭和6年)に合わせるために発達した通勤読物として、随筆・探訪・座談会・実話・手記等の「中間読物」=雑文と、昭和2年岩波書店が始めた文庫本という形式、そして大衆小説があげられている。いまどきの通勤大衆にも等しくかけがえのないものばかりだが、"スマフォで無料で読むことのできるすぐれた日本の文学"を加えたいとわたしは思う。