イラク戦争から10年

3月20日で、イラク戦争開戦から10年がたった。
そこで、「イラク戦争なんだったの語録」をまとめてみよう。

パウエル国務長官
「イラクはウサマ・ビンラディンとアルカイダの幹部の仲間で協力者であるアブ・ムサブ・アルザルカウィのネットワークをかくまっている」
(2003年2月5日、国連での報告)
しかし、ザルカウィは、サダム政権とは何ら関係なく、政権崩壊後にイラク国内に潜伏し反米テロ活動を開始した。2006年に米軍の攻撃で死亡
した。のちにパウエルは、「私の生涯の汚点であり、報告内容はひどいものだった」と反省。

ブッシュ大統領
「米国、友好国、同盟国の国民は、大量破壊兵器で脅かす無法者の政権のおもうままにはならない。その脅威には全軍で立ち向かう」(2003年
3月20日。開戦直後の演説)
「多くが誤りだったのは事実だ。大統領として開戦の決断に責任がある」(2005年12月14日、ワシントンDCで、大量破壊兵器が見つから
なかったことに対し)
「吐き気がするほどの嫌悪感を覚えた」(大量破壊兵器が見つからなかったという報告を聞いたとき-2010年刊行の自伝『決断の時』)

結局、アメリカは、4422人の兵士を失い、31926人の兵士が負傷した。かけた戦費は、600億ドル。

一方イギリス。
ブレア首相
「イラクが大量破壊兵器を45分で実戦配備できる」(2002年9月にイギリス政府が出した大量破壊兵器の脅威に関する文書に寄せた序文で)
イギリスは、チルコット検証委員会が立ち上がり、ブレア氏を喚問。
「フセイン元大統領=悪いやつ、放っておいたらとんでもないことをしでかす奴。だから処理するべきだと思った」
179名のイギリス兵が戦士したことに関しては、
「後悔はしていない。責任は感じるが、謝罪のつもりはない」
2011年1月29日、チルコット委員会に再び喚問されると
「もちろん後悔している。深く心の底から」と反省。
2013年イラク戦争から10年でBBCのインタビューでは、
テロや宗派間抗争の続発を挙げ、「望んだ状態からはほど遠い」、「もしサダム(フセイン大統領)を排除せず、イラクが『アラブの春』を迎えた
なら、アサド(政権下の)シリアより、20倍はひどかっただろう」とイラク攻撃を正当化したそうだ。

さて、最後に日本。
小泉総理
「米国がどういう理由で行動するのか見ないとわからない。それを見て考える。その場の雰囲気だ」(3月13日の段階で、のんきなことを言って
いた)
「武力攻撃なしで、大量破壊兵器を廃棄することが不可能な状況では、米国の行動を支持することは国益にかなう」(2003年3月20日、国会
にて)
「フセイン大統領が見つかっていないから、大統領は存在しなかったといえますか? 言えないでしょう。大量破壊兵器も私はいずれ見つかると思
う」(2003年6月11日の国会答弁)
しかし、よく考えると何を言っているのかよくわからない答弁だ。

そして10年後。小泉元総理は、表には出てこない。

今年の3月20日の朝日新聞には、福田元総理、(当時の小泉政権では官房長官)のインタビューがのっていた。「日本は結構うまくやった」。結
局イラク戦争の支持は、世界の平和や、イラクの民主化には、まったく関心のない日本が、米国に追随することで国益を守ろうというだけの話。イ
ラク戦争では、12万人以上のイラク人が命を失い、500万人近い人が家を失った。そんなことはどちらでもよくて、日米関係がよくなったかど
うかだけが、日本人の関心。「うまくやった」か。なんとも悲しい。