「サストロダルソノ家の人々 ジャワ人家族三代の物語」の世界(2)

先月は、この小説の翻訳について書いたが、今回は小説の世界について感想を書いてみたい。

書評については、次のものが参考になる。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2013/02/post_284.html

あらすじ:
この小説は、オランダ植民地時代末期から日本占領期、独立戦争を経て1965年9月30日事件(スカルノ体制崩壊につながる共産党虐殺事件)に至るまでのインドネシアのジャワ社会において、プリヤイ階級に属するサストロダルソノ家三代の物語を、家族それぞれの視点からつづった物語である。初版は1992年刊行で、原題は『Para Priyai -sebuah novel(プリヤイたち、一つの小説)』。ガジャマダ大学文学部教授のウマル・カヤム(1932〜2002)が、ギアツなど欧米諸国のインドネシア研究者によって語り継がれてきたプリヤイ解釈に失望して執筆したという。プリヤイ階級というのは、植民地時代にオランダ式教育を受けてホワイトカラ―職(役人、教員、軍人階級など)に就いた社会階層のことで、庶民とは異なる独自のライフスタイル、立居振舞、宗教的スタンスなどを持っていた。ほぼ世襲だったが、中には稀に庶民からプリヤイの世界に這い上がることに成功した者もある。ここに描かれる一族の始祖サストロダルソノも、教育を受ける機会に恵まれて農民の子から小学校教員となり、プリヤイ階級の末端に連なった。つまり、この小説はプリヤイになり、プリヤイであろうとする家族の物語なのだ。

  ●プリヤイと王

この小説を読んで最初に感じたのが、地方在住のプリヤイにとって王宮は遠い存在なのだなということ。私は、中部ジャワのスラカルタ王宮やマンクヌガラン王宮で舞踊やガムラン音楽を勉強していたから、称号や装束や振る舞いなどによって王宮における階級差や序列がいかに表現されているか(また、いたか)、かなりイメージできる。その環境にいると、自然と王が絶対であるかのように思えてしまう。

だが、東ジャワの町、ワナガラ(架空の町)を舞台とする登場人物にとって、たとえばハルドヨ(サストロダルソノの二男)が言うように、マンクヌガランの「王様閣下」は、「昔のマタラム王国のほんの一部に過ぎないソロ地方の半分を治めるだけの小さな王国の王(p.235)」である。「たとえその権力がどんなに小さくても、私にとってはジャワの王様であることに変わりはなかった(p.235)」と尊敬しているとはいえ、王宮関係者や王侯領内の農民のように王との距離が近い者なら、あるいはB.アンダーソンのジャワ王権論の読者なら、ジャワの王の存在をそういう風には言わないだろう。正直なところ、私はハルドヨの率直な現実認識に驚いた。彼のこの相対的な視点は、給料をオランダ植民地政府からもらっているプリヤイだからこそ得られたのだと思う。

ハルドヨはマンクヌガラン王侯領府で働く教師として推薦されたときに、オランダ領東インド政庁の教員として働くよりも給料が下がるが、それで良いかと念押しされている(p.233-239)。上の彼のセリフは、まさにそのときに出てきたものだ。プリヤイにとって、ジャワ王家が小さな存在であることは、支給される給料を見れば明白だ。しかし、ハルドヨやその父・サストロダルソノが、給料が下がってもマンクヌガランの王のために働くことは名誉であると考えるように、ジャワ王家はプリヤイの精神的な支柱になっている。

けれど、プリヤイ一家の初代・サストロダルソノとその息子ハルドヨでは、王に対するイメージは少し違っている。サストロダルソノは、子供たちにワヤン(影絵芝居)や古典文学(ジャワの王が記した『ウェドトモ』や『ウランレー』の詩集など)に幼少から親しませ、結婚式にはワヤンを上演し、人をワヤンの登場人物になぞらえて評価し、何らかのメッセージを伝えたいときは子供に詩の朗誦をさせる。彼は、遠縁の伯父クスモ・ラクブロト(p.255)のように、ジャワ神秘主義を自ら実践――川に身を沈めて瞑想するなど――するところまではいかないが、「王様は超能力をお持ちなのだから」、一生懸命仕えるようにと息子に助言をする。一般的に、ジャワの王=神秘主義の実践を通じて得たパワーを持つ存在、と考えられているからだが、ハルドヨがマンクヌガランの王を尊敬するのは、そういったパワーがあるからではなくて、王が、近代へと移り変わっていく時代に立ち向かおうとするから――つまり、砂糖などの産業を振興し、下水溝などのインフラを整備し、教育や芸術にも力を入れるから、なのである(p.236)。このあたり、プリヤイ二代目としての発想だなあと感じる。

  ●家族儀礼

この小説では歴史的事件を背景に家族3代の物語を描くのが主なので、家族儀礼の様子はそれほど詳しく描かれていないが、それでも、花嫁の家で盛大に式を挙げたあと、1週間後に花婿の家でも祝宴を設ける(p.65)という結婚式のあり方、妊娠7か月目にミトニと呼ばれる安産祈願の儀礼をすること(p.143)、人が亡くなると遺体が水で清められ、夕方に埋葬され、夜に(少なくとも死後3日目までは)法要がある様子(p.44-45)などが描かれている。当時のジャワ人プリヤイが生きていたライフサイクルを知る上で、これらの描写は貴重だ。もう少し詳しく描写してくれると、ジャワの風俗を知る上でさらに興味深くなるのだが...。もっとも、著者のウマル・カヤムは作家以上に研究者なので、ちゃんと時代考証、儀礼考証するほど暇ではなかったのだろう。

余談だが、結婚式のシーンの「いろいろな料理があたかも川を流れる水のように、とどまることなく次から次へと運ばれた(p.65)」という描写について、料理が次から次へと出てくる様子を、ジャワ人は川の流れに喩える。私自身、ジャワで人を招いたときに、料理をせっせと作って出していたら、バニュミリだねえと褒めてもらったことがある。バニュミリというのがジャワ語で水が流れるという意味。ジャワ舞踊やガムラン音楽では、水が流れるように滑らかに優雅に動きや音が移っていくのがアルス(上品)とされるので、私には最も親しみのある語だったのだが、料理を出すときにもバニュミリと形容するのか...と、当時、意外に思ったことを思い出す。ここの描写を読んでいたら、その時の情景が蘇ってきた。

さらに余談。お葬式で夕方に埋葬するとあるのだが、ここ、原文ではsiang(昼)なのかsore(夕方、午後3時前後〜)なのか、気になる。昔のことは分からないが、現在のジャワでは墓地に埋葬するのは1時頃からである。ジャワでも日本(少なくとも私の地域)でも、墓地には朝から行くのが望ましく、夕方にはお参りしないものだが、一体何時頃に埋葬されていたのだろう...。

  ●名づけ、改名

この本は註釈がなくて読みやすいのだが、逆にもっと註釈を入れて説明してくれてもよいのに、と思う部分もある。上項の家族儀礼や、ここで述べる名づけの習慣がそうだ。複数の翻訳者の中に、伝統文化の註釈者を1人加えてくれたら良いのになあと、正直思う。

ジャワ人はよく改名する。この本でも、サストロダルソノは幼名がダルソノだが、それは農民である彼の父親に目をかけてくれるプリヤイが名づけてくれた名前で、本来はプリヤイの子の名前だという。母親は当初、そのような名前は村の赤ん坊には重過ぎて短命になることを不安がっていたが、結局受け入れる(p.49)。そして、そのダルソノが教員になってプリヤイの仲間入りをするとき、父親は、今度は立場にふさわしい大人の名前としてサストロダルソノと名づけてやる(p.56)。また、サストロダルソノは預かった田舎の子、ワゲを学校に行かせると決めたときに、学校に行く子にふさわしいように、ランティップという名を与える(p.34)。また、サストロダルソノの長女、スミニの結婚相手のラデン・ハルジョノが結婚の申し込みの手紙をよこした時、彼はすでに副郡長となっており、ラデン・ハルジョノ・チョクロクスモと長くなっていた(p.114)。こんな風に、ジャワ人は社会的な立場が変化するにしたがって、それぞれの立場にふさわしい名前に改名する。

余談だが、他に、病気が治ることを祈って改名することもある。私の舞踊の師匠は、1950年代に、生まれて1歳に満たない長女を舅と姑に託して海外公演に出たことがあるのだが、帰国したら長女の名前が変わっていた。それは、子供が大病にかかったときに舅と姑で改名してしまったためらしい。

  ●洋風の呼び方

サストロダルソノの孫世代、つまりジャカルタに住む長男の息子、娘の名はトニー(独立戦争で死亡)、トミー、マリーと外国風だ。特に後者の2人。確かに、こういう名前が都会の裕福な家の若い世代には多いなあと納得する。そして、トミーとマリーは両親のことをパパ、ママと呼ぶのも、他の家族と違うところだ。実は今から10年くらい前のこと、1970年代にソロからジャカルタに移った人から、「ソロでは、まだ両親のことをバパッ、イブと呼んでいるのか」と尋ねられたことがある。その人はパリパリのジャワ伝統主義者で、自分の家では子供にはバパッ、イブと呼ばせているが、ジャカルタでそういう家はもう希少で、昨今はパパ、ママと呼ぶのが普通になった、と聞かされたのだ。そういえば、ソロでもパパ、ママという言い方はかなり普通になってきていると思うが、それでもバパッ、イブという呼び方はまだ健在だし、いかにもジャワ風の名前(本書のダルソノとか)も、まだまだ多い。こんなところにも、サストロダルソノ家3代の変化が表れているなあと思う。

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というわけで、今回もなんだか、重箱の隅をつつくような感想ばかりになってしまった。けれど、書き始めると、取り上げたいことがいろいろと出てくる。というのも、この本を読んでいると、自分の知っているジャワ人の顔、ジャワの状況が次々と思い浮かんでくるのだ。フィクションだけれど、この時代を生きた人たちのリアリティが感じられる。来月ももしかしたら感想の続きを書くかもしれない(他のトピックを思い出さなければ...)。