製本かい摘みましては(89)

テーブルにトイレットペーパーを常備している。ちょっとした汚れをふくのにもティッシュペーパーに手が伸びてしまうのを避けたくて、パックマンみたいなトイレットペーパー・フォルダーを買って置いているのだ。パルプ製の真っ白で柔らかなティシュペーパーがスーパーの目玉商品としてタダみたいな値段で山積みされているのを見るにつけ、青少年たちよ、ティッシュペーパーはタダみたいな安い物だと勘違いしないでねとひとりごちる。我が家のティッシュペーパーの消費量はそうとう減り、トイレットペーパーのそれはずいぶん増えた。長年の消費ペースの習慣が抜けなくて、夜、コンビニにトイレットペーパーを買いにいくためにじゃんけんすることが今もある。コンビニで品切れがあったら困る。POS管理というものはこういう事象にどう関わってくるのだろう。

今冬、旅先で時間が空いたので美術館を訪ねると、平櫛田中展の最終日だった。巨大な天心像などが並ぶ天井の高い部屋がすばらしくて見とれていると、閉館時刻のアナウンスが流れてきた。売店に走るが図録は品切れ。聞けばこの日の夕方、つい先ほど最後の1冊が売れたのですと言う。残念です、しかし見事な仕入れですね。次の巡回先にお尋ねくだされば手に入りますと、連絡先を教えてくれた。というようなことを旅日記を書いたら、読んだ方が図録を送ってくださった。お便りには、あの日私が歩いた町を、同じような目的で訪ねておられたとある。あの日でなくてはならない理由は何もなかったのに、偶然が過ぎる。時間もあまりに近かったから会わなかったのが不思議なくらい。会ってはいなくても、すれ違ってはいたかもしれない。小さい「がっかりさん」みたいな奴が、羽根をパタパタさせている。がっかりさん、びっくりさんを連れてくる。

「品切れ」ということを考えていたのだった。横田茂ギャラリーの関連出版会社である東京パブリッシングハウス(TPH)が昨年末創刊した《crystal cage 叢書》は、品切れすることはあっても数カ月後には重版し、絶版としないことを実現するしくみだ。はなから「限定」を名乗る「本」とはまったく違う。年に4回、3タイトル(各170部)を刊行、それ以前に刊行していて品切れになったものは、その時期に合わせて重版するという。叢書第一弾の1冊、港千尋さんの『バスク七色』は間もなく品切れになったそうだが、予定通り、4月の第二弾刊行時に品切れ解消。本の品切れは困るときもあるけれど、約束がされているなら待ち遠しさを募らせることもできるというものだ。ウンチを我慢するのとは違う。

叢書は、詩人で多摩美術大学教授の平出隆さんがプロデュースしている。大学の研究室を出版社として登録し、8台の家庭用のインクジェットプリンターで本文を印刷しているそうだ。顔料インク8色刷り、1冊あたりのべ1000時間。プリンターは通常、時間を短縮するために双方向印刷の設定がなされているが、単方向にすることで鮮やかな印刷を可能としたそうである。ゆっくりと、インクをしみこませるのだろうか。書籍の内容のみならずこうした制作の工夫についても、ウェブサイトやリーフレットで詳しく公開されている。確かに文字も写真も美しい。厚すぎてめくりにくいと感じる本文紙だが、インクののりの良さで選ばれたのだろうか。自宅のプリンターに電源を入れてみる。くひ〜くひ〜。さーさーさー。くひ〜。毎度の悲鳴。必死なのだ。コイツも単方向設定というのはできるのだろうか。静かにゆっくりなんて、動けるのだろうか。

《crystal cage 叢書》の制作は製本の段階で初めて外に出る。仕様は、角背上製・布クロス装・箔押し各冊3色・糸縢り綴じ。これに、グラシン紙の帯と4色オフセット印刷の透明ケースが付く。外注するにあたってコストに見合う最小ロットが500部であることから、1冊170部という数字がはじき出されたのだろう。表紙ボールは1ミリ厚。本文紙に対してちょっと頼りない印象を持つ。この叢書は「場所」を全体のテーマとしている。第二弾の1冊、酒井忠康さんの『積丹半島記』を買う。半島の付け根、余市のお生まれだそうである。刊行記念のトークで、ある人の「因縁を持った土地というのは思いのほか手ごわい野獣だ」という言葉をひかれた。買った帰りの電車の中で片手で開いてすぐに読みたかったので、もったいないけど思い切って頁を開いた。め〜っと開く。ノドの奥まで空気が入って、きゅっという紙のきしみが産声のようだった。もしかして、気持ちいいのかな。