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私の村の小学校では山羊を飼っていた
白いあごひげと二本の角のある立派な山羊でした
杭で草地につなぎ一日をすごしてもらう
山羊は動ける範囲で草を食べ続けるので
草には円形に刈り込まれたような痕ができる
五年生になると教室は二階に移り
そのいくつもの円がはっきりと見えるようになった
「同心円」という言葉を初めて教わったのはそのころ
山羊が歩くたび同心円が描かれる、食べ続ける限り同心円はひろがり
こころ、こころ、と鳴り続けます
毎日適当に紐の長さを変えるので
山羊の仕事には濃淡が生じてきれい
ぐるぐる回るうちに円は螺旋になる
山羊は少しずつ地面から浮いている
夏休みを迎えるころには
山羊は、ほら、私たちの目の高さにいる
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見ることは事物を小刻みにふるわせて
卵が煮えるようにそれを固めてしまう
そのとき事物は自由を失い
世界は貨幣の裏側のように生気がなくなる
目をそらしてごらん、そらせ、そらせ
きみが見つめるだけそれだけ思い込みが刻印される
きみが知るだけの活字が総動員されて
すべてをアルファベットに置き換えてしまう
それでもう精霊が見えない
陽炎が見えない
星雲が見えない
つばめの飛跡が見えない
目をそらすという動きの中に
逃れ去る光のかすかな美が生じる
見つめてはいけない、目をそらしてごらん
それがphenomenophiliaの合言葉
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詩という名で体験されるものを言語の外に求めるとき
さまざまな動く気配が見えることがある
それは動物とも植物ともいいがたいがたしかに生きていて
自力の発光現象と反射光の散乱をうまく組み合わせている
そして物陰から不意打ちする
思いがけないところに隠れているんだ
高らかな音楽、口ごもるためいき
塗られた画布、こねあげたパン種
美しい自転車の暴走、凍った飛行機雲
烏賊の体表の斑点、タテガミオオカミのなだらかな首
強い風にゆれる大樹、強い風に踊る草
古い木造の長い橋、壊れた二眼レフのカメラ
SF映画の予告編、地下鉄駅の公共広告
だが一瞬見出されたそれらは音を立てて
洪水のように言語にむかって流入を始める
光が声になりざわめきが世界を限定してしまう