ジャワ舞踊とピストル

大河ドラマ「八重の桜」を見ていて、女性と銃...ということで、今月はジャワ舞踊とピストルについて書こうと唐突に思いつく。実は、ジャワ宮廷の女性舞踊スリンピ(4人で踊る)とブドヨ(9人で踊る)では、武器にピストルを使うのだ。実際に手に持って踊られる機会はほとんどないとはいえ、振付にはその所作がきちんとある。だいたい、古典舞踊にピストルというのも不思議な取り合わせだ。飛び道具を持つなんて卑怯な〜なんて言われたこともある。というわけで、どんな風にジャワ舞踊でピストルを使っているのか、紹介したい。

まずは銃だけれど、ジャワ舞踊で使うのは片手で持てる短筒で、火縄銃や八重が持っている銃のような長筒ではない、念のため。ネットで検索してみたら、オランダ古式銃という名前で写真が見つかった。ジャワでピストルを持っている人に見せてもらったのと同じデザインだ。その人は、オランダに行った時に買ったとかで、アンティークのレプリカだという。このピストルを、衣装のベルト中央に引っ掛けるのだが、現物を持つと、ピストルがずしりと重い。舞踊の中でピストルを手にするシーンは合計10分もないと思うけれど、持つ時の指にもポーズがあるから、細腕には堪えそうだ。現物のピストルを使わない場合は、腰に結んだサンプールという布を代わりに手にするが、基本的に所作は同じである。

では、どんな風に振付に入っているのか。曲によって多少細部は変わるが、振付のおおまかな流れは同じだ。まずは右手でピストルを抜く。それからピストルを左掌で受ける。私の師匠が教えてくれた振りには、金具を外して弾を込める所作まであった。それを合図に曲のテンポが速くなり、ピストルで撃ち合うのだが、このシーンには、離れた所から1対1で撃ち合う(スリンピ、2組が撃ち合う)パターンと、4人または9人全員が円を描き、互いに近づいてその円の中心に向かって撃つ場合(ブドヨ、スリンピ)パターンの2つがある。1対1の場合は、互いに右肩を敵の方に向け、ピストルを持った右手を肩の高さまで上げて、腕を伸ばして打つ。要はピストル射撃の恰好だ。一方で、全員が真ん中を向いて撃つ場合、みんな左肩を円の中心に向けるような恰好で立ち、ピストルはおへその位置で構えて、銃口を円の中心の地面に向けて引き金を引く。いつも思うのだが、こんな隊形で発砲することは実際にあるんだろうか...。

撃ち合ったあと、音楽はゆっくりと静かになり、シルップ(鎮静)と呼ばれる演出になる。負けた設定の人が座った後、ピストルをしまう振りがあって、勝った人が負けた人の周囲を巡る(曲により、さまざまな軌跡を描くように巡る)。そして、次にまた撃ち合いがあって、今度は別の人が座り...と、同じことを繰り返す。ジャワ舞踊では、戦いが善悪の相克のメタファになっているから、戦いは2回あって、どちらか一方が一方的に勝つことはないことを表現しているとされる。とはいえ、このように2回撃ち合いがあるのはスリンピだけで、ブドヨには1回しかない。さらに「ブドヨ・パンクル」だと、全員で発砲してピストルをしまった後にはシルップのシーンがなく、ピストルをしまった踊り手はそのまま移動して最後の終りの定型シーンに入る。なんだかピストル・シーンがクライマックスみたいな位置づけだ...。「スリンピ・アングリルムンドゥン」も、これと同じ進行でピストル・シーンがある。ただし、こちらは弓合戦のシーンとシルップが2回あってその後にピストル・シーン。この作品では、踊り手は実際には弓を持っていないけれど、弓を弾く所作は抽象的に描かれている。

「スリンピ・ロボン」と「スリンピ・グロンドンプリン」という曲では踊り手は実際に弓を持って入場し、2回弓合戦した後にピストル・シーンがあるのは「アングリルムンドゥン」と同じだが、円の中心に発砲するのではなくて、踊り手が最初の位置に戻る(最後の場面)ために移動しながら撃つところが違う。ピストル・シーンは不可欠だからというので、振付に入れ込んだという感がしないでもない。正直なところ、行きがけの駄賃で発砲しているように見えてしまうんだなあ...。

「スリンピ・サンゴパティ」になると、ピストル・シーンはこの2作と同じような感じだが、その前の弓合戦がワイングラスで乾杯するシーンに代わってしまう。シルップは戦いとセットになっているはずだが、ここに至っては、善悪の相克なんてテーマはどこかにいっているよなあ...。

私見だが、宮廷舞踊はピストルの戦いを2回描いて精神的テーマを表現するよりも、美的追求やマニエリスムの方向に流れていったのだろうと思う。ジャワ宮廷舞踊は、一番古い「ブドヨ・クタワン」が1643年作で、当初はブドヨしか作られなかったが、1820年代前半(パクブウォノV世)からスリンピが作られ始める。宮廷舞踊の新作が作られたのはパクブウォノIX世(19世紀後半)までで、「スリンピ・サンゴパティ」はIX世作なのだ。つまり、「サンゴパティ」は現存する宮廷舞踊では最も新しい曲ということになる。

ただし、スリンピで最も古いものとされる「ルディラマドゥ」には、ピストルだけでなく戦いのシーンが何もない。それに、古いブドヨ(「クタワン」や元がブドヨだった「スリンピ・アングリルムンドゥン」など)のメインの戦いは基本的には弓である(手に弓を持たなくても)し、ブドヨでは戦いとシルップのシーンは1回しかない。また、上でも書いたけれど、全員が円を描いてピストルを発砲するシーンはあまり写実的でないので、もしかしたら、元の振付は剣や他の武器を持っての戦いだった可能性もある(そう主張する踊り手もジャワにはいる)。という風に考えていくと、ピストルを宮廷舞踊に取り入れるというアイデアは、スリンピという女性4人で踊るフォーム、ならびに2度の戦いの描写を通じて善悪の相克を表現するという振付構成のコンセプトと不可分に発展してきたのかもしれない。そして、そのコンセプトがブドヨにも取り入れられたのだろう。

ここで、宮廷の男性舞踊に目を転じてみると、実はピストルを使う作品がない。それは、男性舞踊にはだいたいキャラクター設定があるからだ。つまり、マハーバーラタなどといったベースになる物語があるので、その枠で持つ武器が決まってしまうのである。スリンピやブドヨは、下敷きとなる話があっても抽象的な表現になっている(これはスラカルタ宮廷のみだが)ので、新しい武器であるピストルが入ってくる余地がある。逆に、ピストルを使うからこそ、新しいテーマ表現が可能になったのではないか...という気もする。

ジャワ舞踊でピストルといえば有名なのが、インドネシアの振付家、サルドノ・クスモの作品「ゴングの響きの彼方より」である。これは日本でも1996年に国際交流基金で上演された。ちなみに、私の舞踊師匠の旦那がサルドノの舞踊・音楽の師で、この作品に演奏家として出演していた。この作品でははじめ「スリンピ・サンゴパティ」が上演され、乾杯を経て発砲するところで場面が転換して物語の後半へと突入していく。同曲のタイトルがかつて「サンゴパティ」から「サグパティ(死の支度)」に改名されたことがあるという伝承をもとに、サルドノはワインと拳銃に象徴されるオランダ支配と、それに抵抗するジャワの命がけの闘争という主題が表現してみせる。私の周囲では、このサルドノ作品を日本で見たインドネシア事情通は、なぜか「スリンピ・サンゴパティ」だけがピストルのシーンがある特殊な曲で、このサルドノの解釈が宮廷舞踊の解釈なのだと思い込む傾向がある。けれど、私には、改題されたにせよこのスリンピにそんなクラシックな精神的な意味があったとは到底思えないのだ。私にしたら、現存するスリンピ、ブドヨの曲の中で、音楽的にも振付的にも一番技巧的でマニエリスム的な曲がこれ、古典舞踊的定型パターンが一番崩れているのがこの曲だ。私がインタビューした元宮廷の踊り手(1930年代生まれ)は、かつての宮廷では賓客を迎えたときにこの曲が好んで上演されたと言い、舞踊の乾杯のシーンでは賓客も一緒に乾杯したものだと言っていた。サルドノの作品中でも、踊り手に合わせて兵士が乾杯する。だからこそ、サルドノのように新しいテーマ――善対悪ではなくて、オランダ対ジャワというアイデンティティの相克――を表現するのにこの作品を使うことができたのだと思っている。他のクラシックなスリンピでは、ちょっと無理だっただろう。