何枚もつなげたむしろの上に、鞘のついたままの、枝さえついたままの、大豆や小豆が広げられていた。短いけれど強い初秋の陽射しが、またたくまに豆の鞘から水分を奪っていく。何日かして、からからに乾いた豆の鞘を、ぱさり、ぱさり、と殻竿で打っていく。
殻竿は重たい。柄がひどく長いのだ。豆の鞘を打つ部分は幅1センチメートルほどの肉厚の竹の棒串を何本か横に並べて、紐でくくった細長い長方形の形をしていた。
わたしが生まれた土地に竹は生育していなかった。太い竹は、なかった。だから殻竿は内地から運ばれてきたモノだったのだろう。その土地に育ったのはネマガリダケと呼ばれる細い竹もどきの植物で、調べてみると、チシマザサという笹のひとつだ。名前のとおり根元がくにゃりと曲がっていた。
このネマガリダケはキュウリやトマト、ツルインゲンの添え木として、交互に組んでよく使われた。思えば、ビニールハウスもない時代、稲の苗床も、野菜の種を植えた畝にも、このネマガリダケをしならせてつくった枠に油紙をかぶせてあった。いまにして思えば、ひどくナチュラルな「自然にやさしい」方式である。
さて、殻竿である。子供にはとにかく重くて、長くて、手に持つだけで精一杯。とても大人のように、ぱさり、ぱさり、とむしろの上に振り下ろすことはできない。それでも、そのぱさり、ぱさり、が遠目にもひどく恰好良く見えて、面白そうで、何度もこっそりトライして、よろけて倒れそうになり、竿を放り出して、しかられた。
竿に打たれた豆は鞘からはじけたり、半分はじけたりして、大きめの枝や茎をむしろの上からとりのぞくと、小さな豆だけが下に残った。鞘のかけらもたくさん残っていたけれど、その雑多なごみを含んだ豆が、つぎに入れられるのが箕(み)だ。
この箕という農具も細い竹を編んだものでできていたように思う。大人は立った姿勢で、その豆の入った箕を腰のところに構えて、上下に、豆を空中に踊らせるようにして、ざっざっざっ、と揺する。風に吹かれて軽い鞘は飛ぶ。かけらも飛ぶ。風下にいると目にゴミが入るので、このときはすかさず風上に逃げる。
幅広の変形シャベルみたいな形の箕もまた、使っているところは面白そうでならなかった。とにかく動作が恰好いいのだ。子供は是が非でもやってみたいのだ。持たせてもらう。豆が入っているとずっしり重たく、とても上下に揺すれない。へたに揺すると豆がざざーっと地面にこぼれてしまい、拾い集めるのが大仕事。豆も汚れる。当然、しかられる。
農家の子は小学生高学年ともなれば、いろんな農作業をじつに巧みにこなす人が多かった。わたしはしかられることの多い、中途半端な子供だった。家は半農だったから、半端で許されたのだろう。クラスメートが今日は田植えだから、稲刈りだから、といって早々に家に帰るころ、わたしは翻訳小説ばかり読んでいた。いまでいう、ハーレクインジュニア版みたいなシリーズを読みふけるようになったのは、しかし、もう少しあとだったかもしれない。