時間は流れる

富田さんのお別れ会に出かけた。
残念ながら恐怖のトリプルブッキングのせいで第一部のみの参加。久しぶりに見た大久保さんが無闇に大人になっていたのにびっくりした。会の中で流された富田さんのビデオを見ながら、いろいろなことを思い出した。

山形浩生さんのしょぼいを聞いたときの青空文庫は、たしか、他のホームページと同じようにリンクや転載に関する注記が書かれていたんじゃなかったか? そこをフリーミアムを日本に紹介した山形さんから指摘されての話だったように記憶している。私が青空文庫に関わった当初は、インターネットの発展が社会に対してどのような変化を与えるのかと言う目で、未来が見たいと気持ちが強かったように感じる。まあ、その頃の予想を遥かに超えて、インターネットは早くなり、EBK形式などのリッチコンテンツは廃れていき、早いインターネットとは正反対のテキストが青空文庫のフォーマットで生き残ったというのはなんという皮肉だろうか。
とにかく、最初の頃は利用をどのように収録作品からつなげるかに興味を持ち、童話を入れたり、童謡を入れたり、探偵小説を入れたり、チャンバラを入れたり、SFを入れたりとジャンルの拡張に走っていた。面白いことにひとつ入れると、読者が入力者につながり、作品が増えていくサイクルに繋がった(かもしれない)。そこに残るためには、とにかく、結果を残す必要がある。そんな時代が青空文庫にもあった。

著作権の切れた小説を探していると面白いことに気づいた。今は書店の店頭で手にはいらない書籍でも、面白くない書籍では必ずしもないのである。いや、むしろ面白い作品が著者の死後50年以上も埋もれていることにショックを受けた。これはのちの私の著作権に関する立場にも直結している。要は、出版社にとって利益のある作家の書籍が店頭に残っている。売れ行きが悪く、または何かの問題を抱えると途端に出版社は絶版にしていく。長期販売による文化の担い手という再販ルールの趣旨はとっくの昔に市場から抜け落ちていた。
日本語改革の動きも整合性に欠けたものだった。ゆるやかな指針のみを述べ、運用を出版社に委ねたために、文章表記が揺れ動いていた。「ヶ」とか「ヵ」とかの問題は、実は国語改革の中で忍び込まされていた。なんと、否定はされているのに書き換えのルールは規定されていないのだ。結局、そういった状態が表現の揺れを誘発させた。
コンピュータ化に伴う漢字の字形の問題もあった。国内でOSを作っていた頃はJISにない漢字は外字として、表外に定義していたが、もはや外国製のOSが100%となった現在、自国の文字を自国の判断でコンピュータシステムに定義し、使用することはできなくなった。そのことに気づかない作家や学者は、珍しい漢字が使いたいと駄々をこねた。
私の事前の目論見は無残にも外れて、さまざまな矛盾が青空文庫から見えてきた。そう、事実は小説よりも奇である。そういう状態を見ながら、私は少しお休みを頂いている。青空文庫はいつのまにか、あることが前提になり、出版社から、テレビドラマの台本、ラジオ放送の朗読に至るまで普通に使われるようになった。私があせる必要はもうない。

大久保さんは自らのことを勝手にいろいろとやる担当と称したが、考えてみれば私もかなり好き勝手にやったものだ。タナに上げた戦前の著作権の10年条項で公開自由になっている海外小説(クリスティやクイーンの初期のものが該当する)や県歌、市歌なども入力中の一覧に登録させてもらっている。また、校歌も収録したいと虎視眈々と狙って収集している。
そう言えば、以前、富田さんとカストリ本は収録可能か? 検討したこともあった。すでに、田山花袋作と伝えられる「四畳半襖の下張り」は花袋全集版と私家本を資料として収集済みだ。純文学よりも大衆文学の方が散逸する危険性は高い。そういう観点でカストリ本を確認したが、なにぶんにも迷子著作権の宝庫だった。などと考えながらも、純文学の作家だって、豊田三郎や久米正雄などを考えても分かるように、現役本が残っている作家は少ないんだよね。

さて、どこまで実現できるか分からないが、9月の末に華々しく終了した「あまちゃん」ではないけれど、未来を切り開くために動くことにしよう。沈んではいられないのだ。