たぶん彼と僕は似ていたのだと思う。
出会いは最悪だった。それはたいへん険悪な始まりで、売り言葉に買い言葉、およそ初対面の人間同士とは思えないものだった。
以来、互いに気に入らないといったふうに牽制し合い、それとなくなじり合っては、ふとしたきっかけで口喧嘩をするような案配だった。
そもそも、ふたりとも口が悪かった。言い方は、10ほど下の僕の方が皮肉で慇懃で、年上の彼の方がかなり直截。ただ何かを批判するとなれば正直で、どちらも真剣だった。
それに、好きなものや持つ知識が近かったのもあった。もちろん、同好の士が多い分野について重なっていたのは、複数合ったにしても、偶然と言えるほどのものですらないだろう。
ただ、お互い「詳しい人物がそういるとは思えない」自分たちの職能の歴史について、興味を持ち、深く調べていたというのは、何事にも代え難い共通点だった。
良からぬ仲であるうちに、知らず知らず、信頼のようなものを抱いていったのだろう。最終的に、ふたりはそれぞれの発言に常に共感のようなものを持つに至った。
それに、職業としてのデビューは、同期といってもいいだろう。僕が駆け出しであると同時に、彼も前途有望だった。ただ年の差からか、彼は僕以上に世に埋もれていた時間が長く、その分、少し斜に構えるところがあった。
しかし、それでも僕は、彼がこれからその分野の実作と批評について、傑出した技を見せてくれるものと期待していたし、またそれを信じていた。そしてお互いにその仕事を目にしつつ、様々言い合えるものと思っていた。
僕は、彼の死をその四十九日のあとに、人づてに知った。
結局彼は、公の仕事としては、ひとつしか世に残さなかった。
これから何をどうしたい、老後にはあれがしたい、と先のことは折々語っていたし、またささやかな詩集を編みたい、とも口にしていた。
もちろん、それは叶わぬこととなったし、僕は君と見ることも見せることもできなくなった。僕は彼以上に見せるべき人を知らないし、また彼ほどに読んでしっかりと理解できる人など、いるはずもない。
彼が無念であったどうかはわからない。ただ、彼は生きながらもいつも無念さをにじませる人ではあった。人にバカにされ、軽んじられることに、人一倍繊細だった。世を呪うところさえあったように思える。
そして今、僕は僕のためにだけに君の詩集をこしらえて、ただ自分を慰めることしかできない。