足りない活字の物語

台風が連れてきた雨がやんで、青い空が美しい。この時期は毎年何だか淋しい。夕方の西日の角度のせいなのか、今年ももうすぐ終わるという反省の念からなのか。無為に過ごしてきた日々への後悔を滲ませながら、ハロウィンの街を歩く。

友人の溝上幾久子さんが送ってくれた案内状を持って、「足りない活字のためのことば」展にでかける。この展覧会は、東日本大震災で被災した釜石市の印刷会社、藤澤印刷所の、廃棄されようとしていた活字を、瓦礫処理のボランティアに入った坂井聖美さんが掬い上げたところから始まる。

津波は印刷所の2階まで達し、そこにあった印刷機と紙はダメになった。部屋いっぱいに活字棚が設置されていた3階は、坂井さんがボランティアに訪れた時には、ほとんどの活字が床にばら撒かれた状態だったという。近年ほとんど使用されていなかったということもあり、配列を失った活字を拾い上げて実用できるように再生することは難しいと、廃棄する事が決まっていたのだった。しかし、金属の活字だけではなく、木や樹脂でできたスタンプや木箱などを見て、これらの活字は文化的に価値のあるものだと感じた坂井さんは、印刷所の了解を得て、持てるだけの活字を土嚢袋に詰めて運び出してきたのだった。

展覧会のために作られた「KAMAISHI LETTERPRESS PRESS」のインタビュー記事で、坂井さんは「古くていとおしいようなものが沢山ありました。」と語っている。展覧会ではこの活字たちにも会えるのだが、ひらがなたちは、まろやかで美しい。

坂井さんが釜石から持ってきた活字は、縁に運ばれて、銅版画家の溝上さんに託される。溝上さんも震災後、それまでにはない、さまざまな思いが自分のなかにうまれ、少部数でいいから、なるべく手作業で本をつくろうと手動の活版印刷機を手にいれていた。最初は釜石のレトロなイラストや屋号の活字でポストカードなどを作っていたが、「この量のひらがなの活字があって、もし、ことばがあれば、なにかできるのではないか」と思い至る。釜石の、足りない活字で印字できる詩をつくってもらう、使える文字が限られるという制約の中で詩や短歌をつくるという試みに、12人の作家たちが応えて今回の展覧会になった。釜石の活字で印刷された短歌や、詩に4人の版画作家の絵が添えられている。

静かな午後に、活字によってかたちを与えられた心をゆっくり眺める。

バラバラに床にこぼれてしまった活字は、こぼれてしまった心のようだ。そして、ひろいあげた人の手から手へ渡って、再生した活字は、再生した心のようにも思える。たとえ足りない数のままでも。

馬喰町の「ART+EAT」での展覧会は11月2日までということだが、坂井さん、溝上さんによる活字ユニット「KAMAISHI LETTERPRESS」は藤澤印刷所より譲り受けた活字をつかって、作品&ペーパープロダクトの制作、各地での展示企画をこれからも続けていくそうだ。私も会場で溝上さんがつくった「うみとそらを分け合うノート」を買った。これからの活動も楽しみにしている。