「ライカの帰還」騒動記 その1・プロローグ

カメラ雑誌の連載から生まれたコミック「ライカの帰還」は、後に新潮社、幻冬舎から単行本化され、台湾、香港を含めると5つの出版社から発行された。父の形見となったライカDⅢaはすっかり有名になり、この10月末から来年の3月まで半蔵門の日本カメラ博物館で行なわれる「The LEICA 〜ライカの100年〜」にコミックもろとも展示される。このレポートは「ライカの帰還」が誕生するまでのすったもんだ、そのものである。

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昭和49年から平成20年までの34年間、私は編集スタッフとしてオートバイ、カメラ、クルマの専門雑誌を発行する(株)モーターマガジン社に在籍していた。各業界を通じてナンバーワンの実売り部数を発行する出版社だったが、この会社の当時の社長である林さんの夢は、この会社からいつか一般誌を創刊することなのだと言う。しかし、そうすることのハードルの高さは、彼自身よくわかっていたようだ。

というのも、仮に自社の編集スタッフがすべての編集部署を経験し、知識やタイムリーな業界事情に精通していたとしても、それが一般誌で役に立つとは思えない。専門雑誌の編集者は、あるコンテンツに無条件でシンパシーを感じる読者が相手だが、一般誌ともなれば世の中のあらゆる事象と向き合うことになる。そうした場合、いわゆるコモンセンスという面で太刀打ちできるとは考えにくい。

そこで林社長が目を付けたのがコミック雑誌である。70年後半から80年代にかけてコミックは黄金期を迎え、大手の出版社は天文学的な売り上げを誇っていると聞く。これならば専門雑誌の編集スタッフのスキルでも、何とかなるんじゃなかろうか。一般誌を立ち上げるより手間も人数もかからずに済みそうだ。彼はそう考えたに違いない。後にわかることだが、これはとんでもない誤解である。

「当社でコミック雑誌を創刊する可能性をレポートせよ」林社長は、こともあろうに私に命令を下した。上司の編集長を飛び越して、だ。理由はと言えば、所属していたオートバイ雑誌で、私がバイクを扱った人気漫画の特集を担当したことによる、らしい。私は調査という名目で、まったく未知の世界そのものであるコミック業界の現場をウロつくことになってしまった。憂鬱である。

わからないことは山ほどあった。まずは作家さんはどうやって確保するのだろうか。ほしいと思う人気作家さんはたいてい連載を抱えているから、これが終了するまで待つことになる。1年2年は当たり前のことで、3年越しも珍しくないらしい。待っているのは他の出版社も同じで「次はウチに連載を」と、手ぐすねを引いている。実績ゼロの専門誌出版社が、実績山積みの大手出版社を相手にどう闘えるのだろう。

念願の作家さんを確保できたとしても、その作家さんがこちらの期待したものを描いてくれるとは限らない。作品は作家さんのものだとはいえ、とんでもないものを始めてしまったらどうするのだろう。よほど入念に事前の打ち合わせをするにしても、その進行に目を光らせているのがコミック編集者の仕事なのだろうか。そういうこともあるかも知れないが、何だか違うような気がする。わからない。

週刊のコミック雑誌を見ると掲載作品は20ほどある。その数だけ作家さんを擁しているわけだが、これらの作家さんは、好き勝手に自分の描きたいものを描いているのだろうか。どうもそうとは思えない。そこにはメインの読者層が読みたがる、何らかの共通するベクトルがあるのではないか。そのベクトルは、いったいどうやって見つけるのだろう。わからないことだらけだった。

やがて、その答えと思しきものが見えてくる。小学館のコミック雑誌編集者から聞き出したことで、それは「キーワードを見つけること」なのだと言う。たとえばサラリーマンを読者対象とした場合、大きく分ければ「仕事人間」と「家庭人間」の2つになる。前者は仕事を通じて自己実現したいと願う人たちであり、後者は仕事は生活のためと割り切り、己を支え、成立させるものは家族であり家庭である、とする人たちだ。

小学館の出版物で言うと前者はビッグコミック誌であり、後者はビッグコミックオリジナル誌になる。なるほどビッグコミックの「ゴルゴ13」「カムイ外伝」などの主人公は、自分の技術を磨き上げ、任務遂行に文字どおり命をかける。オリジナルの「釣りバカ日誌」「はぐれ雲」などでは作品中にそれぞれの家族が登場し、主人公は自分の生き方は仕事に左右されないというスタンスでいる。

キーワードは前者が「プロフェッショナル」で、後者は「ファミリー」。それぞれがターゲットとする読者層は、雑誌側でその志向に合わせてキチンと区分けしていたというわけだ。それぞれの読者は、自分の意図する生き方の理想を掲載された作品の中に見出し、カタルシスを味わうことができる。これならば同じ出版社から発行されたものでも、読者を食い合う怖れも少ない。専門誌とは考え方のスケールがまるで違うのだった。

さらに興味深いのは、コミック雑誌はそれでも単体として採算が取れないということだ。コミック雑誌の広告収入は乏しく、膨大な部数を支える紙代、印刷代をカバーするにはとても至らない。週刊誌なら40名、月刊誌でも20名規模を抱える編集スタッフの人件費と、高額な原稿料で収支は赤になるのが普通だという。専門誌は月刊誌でも7〜8名の時代だし、広告収益に頼り切るウチの会社には、とても馴染みそうにない。

それではコミック雑誌は、いったいどうやって採算をとっているのだろう。これは単行本の売り上げがすべてだという。小説の単行本なら数10万の部数でベストセラーと呼ばれるが、コミックはケタが違う。1冊あたりの単価が安いとはいえ、メガヒット作品は1巻で100万部を軽く超えるものが珍しくないのだ。しかもそれが何10巻も続くのだから、輪転機は札束を刷っているようなものになるという。う〜ん...である。

コミック編集者は誰でも、メガヒットを生み出すことが夢なのだという。それが生まれる確率はと訊ねてみると、100本手がけて2〜3本がそこそこのヒット。つまり2〜3%でしかないという。さらにメガヒットとなると「時代のニーズ」が生み出すものだから、作家さんにも編集者にも時代の流れを的確に読み取り、その先を予測する術と能力がないと生まれるものではない、らしい。

コミック編集者の素養とは、あらゆる分野に切り込んで行ける情熱と知識欲だという。仮に編集者が時代の流れを把握したつもりでも、それを作家さんとコミュニケートし、意気投合できるかどうかがカギになる。作家さんが「ともに作品を手掛ける相棒」と認めなければ、担当編集者にはなれないのだそうだ。これはダメだ。とても専門誌の編集者風情が入り込めるスキなどないではないか。

私は林社長に「当社でのコミック雑誌創刊は以上の理由から困難と言わざるを得ません」と正直にレポートした。返事はなしのつぶてだったが、社業の方は順風満帆のようで、それ以降コミックの話で呼び出されることはなかった。ホッとした私は、親しくなったコミック雑誌の編集者や作家さんと、その後もお付き合いさせてもらっていたのだが、これが後々えらいことの引き金になるとは思いもしなかった。