リズムには緩急(agogique)があり、メロディーには強弱(dyanmique)があり、ハーモニーには転調(modulation)がある。これはヴァンサン・ダンディの演奏についての教えらしい。その愛弟子だったブランシュ・セルヴァの『ソナタについてひとこと』(1914)という長い本のなかのことば。要素ではなく、それらの微妙な変化から考えはじめるというのは、この場合は作曲ではなく、すでに作曲されたものの演奏が問題だからかもしれない。ジャン=ジョエル・バルビエは『サティとピアノで』のなかで、この教えがダンディの学校スコラ・カントルムで再教育を受けたサティに影響して1910年代の小曲、特に『スポーツと気晴らし』(1914)のなかで、民謡の一節からとられたメロディーをわずかに変化させながらミニマルなバランスとはっきりした輪郭を作り出している、と書いている。全体を要素という最小の構成単位に分解し、そこから逆行して全体にたどりつくという合理主義と検証の考えかたは啓蒙主義的に見える。変化からはじめると、要素のように厳密なシステムを作れるかどうかわからない。
スコラでは対位法をまなんだようだが、サティの対位法は、もともとの意味での点対点の場合がある。『ノクターン』(1919)の2番から4番までは、2度と4度、裏側の5度と7度の響きだけを選ぶような、伝統とは逆の規則、また5番では逆に3度と6度を選ぶが、逆の逆なのに伝統的な響きにはならない。
音が響きを作り、それが変化していくのか。それとも、動きが先で、響きは後から追いつくのか。あるいは、動きは線で響きは点なのか、線は点から点への飛び石で、響きは内部変化を含んだ層なのか。逆から見れば、線は回廊で、響きはそのなかの斑点なのか。どのように考えても、対象となる音はすでに消えていて、記憶のなかにしかないから、響きも線も実在する物体とはいえない、残響と軌跡にすぎない。
音符は紙の上の黒い点で表される。それを使って楽譜を書きながら、直接表せないもの、緩急・強弱・転位にもとづいた音像を思い描くのが作曲作業で、それも19世紀的に記号やことばによる指示を細かく付け足していくのとは反対に、できるだけそれらを取り除いていくと、どうなるか。ユダヤ教聖歌とビザンティン聖歌の楽譜は動きのパターンを記す動機譜(ekphonetic)で、グレゴリオ聖歌は動きの単位によるネウマ譜、それ以後の音楽史では各音の表記へと変化した。タブラチュアのように指譜や文字譜ではなく、5線譜は図形と記号の綜合で、それ以上の改革の試みは、慣習の力に勝てなかった。
バッハの原典版のような強弱や速度指定がない楽譜か。さらに、拍子記号も調子記号も小節線もなく、音の位置と出現と消滅の順序だけを記した楽譜になれば、17世紀フランスのクラヴサン奏者たちの、特にルイ・クープランの白い楽譜プレリュード・ノン・ムジュレにたどりつく。演奏慣習や時代様式を知らないと読めないような楽譜だが、かえってすべての緩急・強弱・転位は固定されることなくそこに現れてくることも、たしかにありうることだ。ジョン・ケージの最晩年のナンバー・ピースも音の出現と消滅のおおまかな時間枠を記すだけの楽譜だった。
変化の音楽を作るには、変化を直接指示するのではなく、書かれていない余白の空間として残しておくほうがいいらしい。