本当は先月の続きで「ジャワ舞踊作品のバージョン2」を書くつもりだったのだけど、11月末に来阪したジャワの舞踊家ディディ・ニニ・トウォ氏に絡めて、ジャワ舞踊のジェンダーについて先に書きとめておきたい。
まずはディディ氏の来日について。今回は大阪大学でセミナーとワークショップがあった。セミナーのタイトルは「性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ:芸術上演における身体とジェンダーを考える」。彼はその中で、ジョグジャカルタの伝統舞踊「ゴレ・ランバンサリ」、レンゲル・バニュマス、自作「ドゥイムカ・ジャリ」の3曲を上演した。彼はジョグジャカルタを拠点に、インドネシアでクロスジェンダー専門の舞踊家、つまり男性舞踊を全くせず、女形を専門とする舞踊家として活躍している。
インドネシアではクロスジェンダーに対する敷居がわりと低いというのが、留学していたときの私の実感だった。ディディ氏は純粋な女形だが、男性舞踊以外に女装して女性舞踊もやるという男性舞踊家は意外にいる。特に、若い舞踊家にはディディさんのスタイルを模倣している人も多い。また、伝統的にも、ジョグジャカルタ宮廷にはかつて男性のブドヨ(ブドヨは女性による儀礼舞踊)の踊り手がいたし、東ジャワの大衆芝居ルドルッは伝統的に男性ばかりで上演されていたので、女形がいた(現在では女性の役は女性が演じる)。留学していた時に、マカッサルにある男性が女装して暮らすコミュニティの芸能(名前は忘れた)を見たこともある。ディディ氏が今回上演したバニュマス地域のレンゲルという女性が踊る民俗舞踊にもまた、男性の踊り手が存在する。しかし、それでも女形に対する偏見などもあって、伝統的なクロスジェンダーの踊り手は減っているので、ディディさんはインドネシア各地の女形の伝統を伝える活動を続けている。
ジョグジャカルタとスラカルタは同じマタラム王朝から分かれたジャワの王家で、どちらの王宮にもブドヨという舞踊が存在し、ブドヨの踊り手は王の側室候補にもなる。けれど、男性のブドヨの踊り手はジョグジャカルタの方にしか存在しなかった。このことが不思議でディディ氏にも聞いてみたが、彼もなぜかは分からないと言う。これはまあ王の嗜好の違い、つまり、ジョグジャカルタの王はバイセクシュアル、スラカルタの王は女性オンリーを反映しているだけかなと、私は思っているのだが。
それはそうとしても、スラカルタ宮廷では男女の舞踊の区別はかつては厳しく、男性は男性舞踊だけを、女性は女性舞踊だけを踊った。私の舞踊の師であるジョコ女史の舅クスモケソウォ(1909〜1972)はスラカルタ宮廷の踊り手としてその教えをずっと守る人で、娘たちには男性舞踊を習わせなかった。また、彼がスリウェダリ(商業舞踊劇ワヤン・オランを上演する劇場)の指導に呼ばれたとき、女性が男性役を演じているのを見て立腹し、ずっとそっぽを向いたままだったこともあったらしい(同劇場元支配人トヒランの言葉)。
とはいえ、スラカルタ様式の舞踊では、女性が男性舞踊を踊るということはよくある。ワヤン・オランでは、見目麗しいアルジュノのような男性優形の役は女性が踊ることが多い。アルジュノはアルス(優美)の極致のような人物なので、それを女性的な外観によって表現していると一般的に言われるが、商業舞踊の世界では、女性が踊る方が観客には魅力的だという理由の方が大きいだろう。アルジュノどころか、チャキル(羅刹)などまで女性がやっていることもある。また、スラカルタ王家の分家であるマンクヌゴロ家では、ラングン・ドリヤンという宝塚歌劇のように女性ばかりで演じる舞踊歌劇が発展した。そこでのトップスターはメナ・ジンゴという王(荒型)役で、マンクヌゴロ侯はメナ・ジンゴの衣装をつけたままの踊り手を寝所に呼んで寵愛したらしい。
クスモケソウォがクロスジェンダーを嫌ったのは、舞踊を瞑想の実践だと考えていたからではないかと思う。サルドノはクスモケソウォが「ヴィパッサナ瞑想を、たえず毎日の生活でおこなっているように見えた」と語っている(水牛の本棚No.3に原文があります。この文では、クスモケソウォではなく、前名のアトモケソウォで出てきます)。性を越境しようとすると、どうしても自分の性的な魅力、他人からどのように見られるのかということを意識せずにはいられなくなる。踊り手が男にせよ女にせよ、そのような意識を滅却して瞑想である舞踊を実践し、悟りの境地を目指すことこそがクスモケソウォには重要に思えたのだろう。
ここで話はディディ氏に戻ってくるのだが、クロスジェンダーの舞踊に取り組む彼の代表作に「ドウィムカ(2つの顔)」がある。今回のセミナーで、1980年代末から彼がこの作品を何度も改訂してきたことを知った。思えば、私が1990年代初めに何度か見たディディ氏の「ドウィムカ」は、第1バージョンだったのだ。それはともかくとして、彼がそんなに2つの顔というテーマにこだわり続けることが、私には興味深かった。彼は自分のショーとしての舞踊や、プロとして最高に楽しんでもらえることに、とてもプライドを持っている人である。けれど、クロスジェンダー舞踊家には性倒錯の魅力という表面的な理由以外に、隠れた根源的な存在理由があるというプライドも持っている、と私には思える。その根源的な存在理由を探して、彼は様々な地域において伝統的に廃れつつあるクロスジェンダー舞踊を掘り起し、学び、記録するという活動を続けているのだろう。
レンゲル・バニュマスという舞踊は、昔は田植え前や稲の収穫後の儀礼で踊られたものらしい。セミナーの翌日、レンゲル・バニュマスのワークショップが大阪大学の授業の一環であったときに出た話題だが、かつては、インダンと呼ばれるものが降りた人だけがレンゲルの踊り手に選ばれていたとディディ氏は言う。インダンというのはビダダリ(天女)のようなものらしく、それが見えるのは霊的な力がある人だけのようだ。そのインダンが宿った人は、男性であれ女性であれレンゲルになるのだそうだ。レンゲルの踊り手には女性が多いが、男性もレンゲルに選ばれると、女性舞踊家として生きることになるらしい。そんな高齢男性のレンゲル舞踊家ダリア氏がまだバニュマスに健在だということで、ディディ氏はその記録映像を今年制作している。その話を聞いて、ディディ氏が考える本来のクロスジェンダー舞踊家のあり方はそういうものかも知れないと思った。何かが降りてきて選ばれてしまった、だからそれになるしかない、というもの。「ドウィムカ」の作品について、そのアイデアはどこから来たのかというような質問がセミナーであったような気がするが、彼は持って生まれたものというような言い方をしていたように思う。
ディディ氏には、やはり何かが降りているのだろう。彼は芸術アカデミー在学中、「ブドヨ・パンクル」(スラカルタ様式のブドヨ)の試験でバタッ(一番メインの踊り手)を踊っている。このブドヨにはバタッのソロのシーンもあり、普通なら女学生が選ばれそうなものだ。この抜擢にはディディ氏自身も驚いたらしい。実はその授業の担当は私の師のジョコ女史だったので、なぜディディ氏をバタッに選んだのかと生前ジョコ女史に質問したことがある。「ディディが一番上手かったのよ」というのが答えだった。たぶん、その頃にはすでにインダンだか何かが彼には降りていたのだろう。