昭和の57年ごろ、クルマ雑誌「ホリデーオート」に異動した私は、それまでのバイク雑誌とはまったく違う環境に四苦八苦していた。当時は月刊で60万部という、とっぴょうしもなく売れていた本でもあり、業界自体も読者層もケタ外れだった。会社は中閉じ週刊誌タイプの装丁では入り切れなくなった広告対策に、月2回刊へと踏み切るのだが、部数は落ちるどころか各60万部が実売りでサバケてしまう。えらいところへ来てしまった。
この雑誌の返本率は毎号20%を切ることが至上命令だったから、巻頭カラー、モノクロ合わせて32ページからなる第1特集を担当するのは、胃がどうにかなってしまうほどの重圧になる。2班体制で1班7人編成となる編集部でも、第1特集を任せられるのは2〜3人に絞られていて、企画立案、取材マネージメント、執筆やデザイン依頼とそれらの回収、入稿までを、ほぼひとりで行なう。この担当になると、残業は月150時間を軽く超えた。
月2回刊の実売り部数が、それぞれ42万部あたりで落ち着いたころ、編集長はどこから吹き込まれたのか「この本に連載コミックを入れよう」と言い出した。「売れてる雑誌にはコミックが連載されているもんだ」そうである。コミックは「折り」の都合上、16ページであることが望ましい。ということは、活版の16ページ分がコミックにとって代わるわけで、企画2〜3本が「お休み」になる。残業対策にはいいアイディアかも知れない。
ところが「ホリデーオート」という雑誌は情報量が勝負になる。活版16ページがコミックにとって代わってしまうと、その分だけ情報量は希薄になる。その懸念を編集長に告げると「んじゃ、情報のいっぱい詰まったコミックにしてくれ」と返ってきた。何じゃ、そりゃ? である。コミックは入れたいが、情報量でクオリティは下げたくないってことか。作家さんとの付き合いがあるという1点で、すでに担当は私に決まっているようだった。
さっそく小学館の友人のところに相談に行くと、彼は他人事だから、面白そうに「やれ、やれ!」というのだが、どこから手を付けていいものやら完全に五里霧中なのだ。逆に「お前はどういうものが望ましいと思う?」と訊かれ、クルマ雑誌に載せるものだから、クルマ関係の、他では読めない類のものだろうなぁ、と言うと「だったら、お前が原作書いてみろ。作家はオレが何とかしてやる」ときた。簡単に言うなぁ、もう。
仕方がないので粗筋を仕上げ、彼に見てもらうことにした。すると、どうしたわけか、えらくお気に入りである。「お前、これを誰の絵で考えた?」というから、正直に浦沢直樹さんだよ、と答えた。浦沢さんは今や大御所中の大御所だが、このときはまだ「パイナップルアーミー」を執筆していた新進作家さんだった。もちろん、面識などない。彼は紙切れにサラサラと何やら書くと「これ、電話番号。うまくやれよ」...はい? である。
粗筋から6〜7話分を起こし、電話でアポをとってから浦沢さん宅に向かう。作家さんの連絡先は出版社にとって社外秘であり、間違ってもライバル社の人間に知らせる類のものではない。友人はそういった意味では自社にとって裏切り行為を犯したわけだが、幸いなことにウチの会社はライバルどころか、歯牙にもかけられない存在なのは明白だ。できるものなら、やってみろということだったのだろう。やるしかない、のだが。
浦沢さんは初対面の私に、柔和な態度で接してくれた。そして目の前で私の原作を手に取り、入念に読み込んでいる風だった。正直、生きた心地はしなかったし、突っ返されることは充分覚悟していたのだが、出てきた言葉は意外だった。「まさにボクのために書かれたような話ですね。是非とも描かせて下さい!」目がテン、である。からかわれているんじゃないか? いや、この人の目は真剣だ。天にも昇るような心もちだった。
さっそく小学館の友人に報告すると、別段意外な様子も見せず「よかったじゃないか」とにこやかである。編集部に戻って編集長にことの次第を伝えると、そんなことは当然と言わんばかりの態度で「いつからの連載になる?」と訊くから、連絡待ちですが、早ければ来春からという感じですね、と答えた。季節は晩秋だったと思う。さあ、これから資料集めやら、話のウラをとるための取材やらで忙しくなるぞ、という矢先に電話が鳴った。
電話は浦沢さん本人からで「来年の春に小学館で新しい連載がスタートすることになってしまいました。だけどこれって1年で終了するはずなんです。どうしても、あの話は描きたいので、待っていただくわけにはいかないでしょうか?」という連絡でだった。個人としては、彼に描いてもらえるなら何年待ってもいいのだが、編集長の判断は冷酷だった。「そういうわけにはいかん。だったら他の作家に依頼しろ」ときた。絶体絶命である。
後日談になるが、浦沢さんの新連載とは「ヤワラ!」であり、ご存知のように空前の大ヒット作となった。連載は1年などで終わるわけもなく、この作品は彼を不動の売れっ子作家にのし上げてしまう。こちらは完全に振り出しに戻ったわけで、例の原作は彼が戻ってくれたときのために封印し、まったく新たに作戦を練り直さねばならない。今度はテーマを絞り、正攻法で臨む。スタイルは1話完結。テーマは「クルマでナンパ」にした。
あらゆるカテゴリーのクルマを1話ごとに登場させて、そのクルマでナンパするなら、どういったタイプの女のコが狙い目なのか。また、そんなコたちはどんなところに生息しているのか。デートコースはどうあるべきか。これらの情報を山ほど詰め込んだギャグストーリーを考えてみた。主人公は軟弱な予備校生として、友人に中古車屋の道楽息子を設定する。これなら毎回、クルマをとっかえひっかえできるというわけだ。
これらの煮詰め作業は、互いの家が近かったせいもあるが、小学館の友人宅で行なった。彼の奥さんが私の美大予備校の同窓生だったという奇遇なめぐりあわせもあり、学年こそ違えど子供たちも同じ小学校に通う。彼女の手料理をいただいた後、2人で庭をぐるぐる歩きながら、自然にブレインストーミングになって、パズルが次々に組み合わさっていった様子は、今でも懐かしい。とにかく「クルマ別ナンパ講座」はこうして出来上がった。
原作は私としても、女のコがらみのファッションを含んだ情報やデートコースの詳細は、さすがに一般誌の女性フリーライターにお願いすることにした。問題は作家さんだが、これは正直イメージがなかった。すると小学館の友人は「神部さくみという女流作家さんがいる。これ適任だぜ」と言う。今度は私が難色を示す。女性作家じゃクルマの描写はキツイだろ? すると「ファッションや魅力的な女の描き分けが男にできるか?」ときた。
言われてみれば、もっともである。半ば押し付けられた気もしないではないのだが、メインタイトルを「I CAN C!」とした全12話のこの作品は半年の間、ホリデーオートの誌面に載った。これがモーターマガジン社で私が手掛けたコミックの第1号である。評判はまずまずで、私が気にしてやまなかった実売り部数には微塵の変動もなかった。16ページ分の情報量は、どうやらカバーできたのだろう。これには正直、ホッとしたものだった。
「I CAN C!」は連載の終了後、総集編のカタチでB5サイズのまま1冊にまとめられたのだが、取次のコミックコードを持たないウチの会社では単行本として世に出せない。総集編は本誌の別冊という形式になるため、書店では2週間しか置いてもらえず、出版社としては旨味が乏しい。そんな理由でホリデーオートはこれ以降、連載コミック掲載に消極的になっていく。肩の荷が降ろせた気もしたのだが、難題は別の方角からやってきた。