六月、母の誕生日がやってくるのを待っていたかのように父が亡くなった。八十一歳だった。そして、いろんなことがあった年をさらに印象づけようとするかのように、十二月になってすぐ母方の叔母が亡くなった。まだ六十八歳だった。父の死、住まいのごたごた、友人の困難など、矢継ぎ早にやってくるあれやこれやに身体を持って行かれそうになっていたので、叔母の死がとても日常的な出来事のようだった。
葬儀は叔母の家からすぐ近くの地域の集会所で行われた。父の時とは宗派の違うお寺の僧侶が、ずいぶんと丁寧にお経を読んでくれた。それがとても嬉しくて、叔母の死が日常的な出来事から少しだけ特別な出来事になった気がした。
読経が終わると葬儀屋が棺に花を入れるようにと指示をする。父の時と同じ葬儀屋だった。見慣れた顔がいたので、会釈しながら、続きますねと言うと、向こうも会釈しながら、続かんほうがええんですけどね、といかにも葬儀屋らしい困ったような笑顔を返してくる。
葬儀屋のスタッフが祭壇に飾ってあった白い花を手際よく切り集めて、かごの中に入れていく。それを別のスタッフが参列者に配り、顔にかからないようにとか全体にバランスよく入れてくださいとかアドバイスをしてくれる。参列者がそれほど多くはなかったので、一度だけではなく、一人に何度か順番が回ってきた。みんなで花を棺に入れて、棺と叔母の亡骸のすき間をいっぱいの花で埋めてあげる。
そろそろ棺の蓋を閉めようかと、葬儀屋のスタッフが動き始めたときに、母が棺の中に手を突っ込みながらなにやら言い始めた。隣にいた妻と顔を見合わせながら様子を見ていたのだが、母が棺から離れない。どうやら、花を入れるときに数珠を一緒に入れてしまったらしい。数珠がない数珠がないと言いながら、棺の中に入れられた花をかき回している。母の姉があわてて、他にも数珠はあるやろ、もうええがなと制するのだが、母は、あるのは安いほうで、棺桶に入れてしもたんは高いほうの数珠なんやと騒いでいる。葬儀屋が、私の横に立って、よくあるんです女性の参列の方はよく数珠を入れてしまわれるんですと苦笑する。そして、母のそばに行き、故人様が三途の川を渡れるように数珠を持たせてあげたと思っていただいて...、と取りなすのだが、それでも母は数珠を探し続けた。必死になってというのではなく、数珠をなくしたことに慌てているといった風情で。
すると、私の妻がすたすたと母の隣に立ち、少しかがむと母の耳元で何かを囁いた。母はこれまでの慌てっぷりが嘘のように、すっと棺から離れ、私たちのそばに戻ってきたのだった。葬儀屋はここぞとばかりに棺の蓋を閉め、私たちを焼き場に向かうマイクロバスへと案内した。
焼き場に向けて、バスに揺られている時に、私は妻に、母になんと言ったのかと訪ねた。妻は小さな声で笑いながら、お父さんが怒ってるよって言うてあげてんと答える。
「お母ちゃんの数珠がなくなったのはお父ちゃんのいたずらや。お父ちゃん、お母ちゃんの数珠をいたずらで棺桶に入れはったんや、そやけどいつまでも数珠探して慌ててるお母さん見て今度は癇癪おこしはってな、いつまで探しとるんじゃ! みんなが迷惑してるやろ! 言うてなあ」
「えっ、親父、来てんの」
「来てるよ」
妻はニコニコと笑っている。
「そうか、来てるのか。それにしても、相変わらず身勝手なおっさんやなあ」
「けど、お母ちゃん、そう言うたらシュンってなりはったやろ。ええ夫婦や」
「それで、どこにおったんや親父は」
「せわしない人で、ずっといろんな人の周りをうろうろしてはった」
「それで、いまも集会所におるんか」
私がそう聞くと、妻はマイクロバスの前の方を指さす。
「いちばん前の空いてる席に座ってはる。あそこで嬉しそうに笑ろてはるわ」
私は驚いて一番前の席を見る。確かにその席だけが空いている。
「ほんまに見えるのか」
「どうやろ。でも、いてはると思えるのよ」
妻が楽しそうに言う。
焼き場は周囲に常緑樹が多く植えられているので、父を送ったときとまるで同じに見えた。青々と茂った木々の中に立っていると、父を送ってからの時間がなかったかのような錯覚に陥ってしまう。
釜の中に棺を入れ、再び集会所に戻り仕出し屋から届けられた料理を食べると、ああ食べ過ぎたとげっぷをしながら叔母の骨を拾うためにもう一度焼き場へ行く。葬儀屋のスタッフがさっきとは別の部屋へ私たちを誘導する。しばらく待っていると、大きな扉が開き、焼かれた叔母が運び込まれる。骨らしきものと灰とが一緒に棺よりも一回り大きな箱の中に並んでいる。
焼き場の係の人が、恭しく頭を下げると長い箸を持って流ちょうに骨の説明を始める。
「みなさま、本日は改めてのお悔やみ申し上げます。さて、それではただいまより、故人様のお骨を拾って参ります」
ここで係の人はおもむろに長い箸を両手で掲げると、再び持ち直して、骨の上にあるすすのようなものを払いのける。
「たいへん綺麗に焼けておりますね。お骨もちゃんと残っておられるようです。まずは、大切なのど仏を見て参ります。ああ、ありました。綺麗にのど仏がありました。ご存じだと思いますが、のどの部分にあるお骨でございますね。これが仏様のように見えるということで、のど仏と言われております。いかがでしょうか」
係の人は長い箸の先でのど仏をつまむと、目の高さ辺りに持ち上げて、焼き場に集まった人々に見せてくれる。係の人の滑舌がとても良く、声も通るので、葬儀と言うよりも何かのレクチャーを受けているような気分になってくる。みんなも口々に、綺麗に焼けているとか、白いなあとか、感想を言い合っている。
係の人は、そののど仏を別の場所にわかるようにどけると、今度は頭から順番にお骨の説明をはじめる。
「これが頭蓋骨、上あご、下あご。歯は入れ歯だったのでしょうかね。あまり残っていらっしゃらないですね」
そこまで説明すると、叔母の夫である母の弟が、半分ほど自分の歯やったはずですわ、と叫ぶ。それを聞いて、叔母の妹が、いや義兄さん知らんかったかもしれんけどお姉さん総入れ歯にしはったんよ一昨年くらいに、と大きな声で応える。
「そうですか。そうですね。はい。歯は残っていないようですね。これが肩胛骨、あばら骨、手の指の骨も綺麗に残ってますね。腰骨があって、太いのが大骸骨、ほら、これが足の指、親指ですねえ、中指ですねえ」
途中からその空間が、陽気な乾いた空気に包まれていく。
「では、ご親族の方から順番にお骨を拾って、骨壺の中に入れてさしあげてください。足の方の骨から順番にお願いします」
そう言われて、順番にみんなが骨を拾っていく。これも人数が少なく、私にも二度順番が回ってきた。一度目は腰骨の辺りの小さな骨を入れ、二度目には肩胛骨辺りの小さな骨を見つけて骨壺に入れた。そして、私の二度目の順番が終わった頃、母の姉が母の名前を呼んだ。
「あったわ。数珠があったわ」
母が姉の元に駆け寄る。
「どこにぃな」
「ほれ、あそこやがな」
「見えへんがな」
「きれいに、数珠の玉が残ってるわ」
「どこや。見えへんがな」
「ほれ、あそこに」
私は少し離れた場所から、まだたくさん残っている叔母の骨を間をのぞき込み、数珠の玉がほんとうに焼け残っているのかどうか目をこらしてみたのだが、どれが骨なのかどれが焼け残った数珠なのかよくわからなかった。(了)