膝頭を見える程度のスカートをはいた女が目の前に座っている。背筋をすっと伸ばして、でも退屈そうに座っている。
列車は空いていて、私の座っている六人掛けのシートにも、女が座っている向かいのシートにも他に乗客がいない。だから、私と女が同じようにシートの真ん中に座り、真正面で向き合っている構図はとても不自然だ。
それでも、わざわざ席を移動するという気にもなれず、しかも、女が動じていないように見えるのがしゃくに障り、私も女の真正面から動かない。そもそも、私が女の前に座ったのか、女が私の前に座ったのかが判然としない。
各駅停車の列車が二駅か三駅過ぎた頃、退屈そうに見えた女の顔が少し曇ったように見えた。その表情に誘われるように私は再び女をしっかりと見つめる。改めて眺めると、女の衣服はとても上質なもののように思われた。地味な色味なのだけれど、派手すぎず沈みすぎない光沢が品の良さを感じさせた。きっと安くはないものなのだろうということは、安い服ばかり着ている身だからこそよくわかる。
まだ充分に若い女だけれど、もしかしたら、若いと言われることに戸惑いを感じるくらいの年齢にはなっているのかもしれない。
そんな女に退屈そうな表情はとてもよく似合っていたのだが、曇った顔には小さな違和感があるのだった。その違和感は女の細かく動く指先を見つけると嫌悪にかわった。
女は左手の中指か薬指あたりの爪の先を気にしていた。爪が伸び過ぎているのか、それともささくれでも出来ているのか、一度気付いてしまった爪の先の何かを無視することができなくなっているようだった。
そんな女を眺めながら、私は身体の深い疲れに目を閉じた。そして、女を真ん中に置いた風景を閉じたまぶたの裏に思い浮かべた。女はパノラマのような車窓を背負っていて、木々の緑を映し、拓けた田畑を見せたあと、大きな海原へと色を変えた。
刻々と変わっていく風景を背にした女は、やっぱり背筋を真っ直ぐに伸ばして、きれいな膝頭の出た細くて美しい足をぴたりとそろえて座っている。さっきまでの曇った顔はなくまるで背後の風景が見えているかのような晴れやかな面持ちでこちらを見ている。
少しまどろんだのか、小さくしゃくりあげるように私は目を覚ました。そして、女の表情を確かめようとして、ゆっくりと女に目を向けてみると、女は爪を切っていた。女が爪切りを持ち歩いていたということがとても不思議だったのだが、現に目の前の女は爪切りを右手に持ち、左手の指先の爪を切っていた。
私がまどろんでいる間に手にした小さなバッグの中から爪切りを出し、さっきまでしきりに気にしていた爪の先を切っているのだった。列車の中で注意深く、爪を切っているのだった。
私はそれをじっと見つめている。女と同じように、ちゃんと切れるかどうかを心配しながら、じっと見ている。この女は列車の中で、人前で爪を切るのだ、と思いながら見つめている。自分で爪を切っているわけでもないのに、いくぶん緊張しながら爪を切っている女を見つめている。
何度か注意深く爪切りを動かすと、上手く切れたかどうかを女は片方の手の親指の腹で撫でて確認する。一通り爪の先を親指の腹で撫でると、女はとても満足そうな表情を作り、そして、小さく長く息を吐いた。おそらく私もいま満足そうな表情をしているのだろうと思う。揺れる列車の中で、うまく爪が切れたことと、やっと女が爪を切り終えたことに、私は安堵し、満足しているのだった。
女は私の表情に気付くと、素早く爪切りをバッグにしまい込んだ。
すると、今度は私自身が自分の指の爪が気になってきてしまう。気になって気になって仕方がなくなってしまう。女に気付かれないように、私は女がやっていたように親指の腹で他の指先をさわってみる。(了)