「手慣れた型が聞きなれない響きを立てるとき」、オデュッセウスが魔女キルケーの島から舟出して地中海世界の西の端に上陸して亡霊たちを呼び出すネキュイア(『オデュッセイア』11章)をここで思い出す。道からはずれた場所、でも道の近くから見ると、道をたどっていては見えない風景が見える。
リズムと言うことばは、古代ギリシャでは計ることのできる動きや姿を指すリュトモスに由来するらしい。計る尺度のほうはメトロンと呼ばれ、計って区切られたものはメロスだった。計ることができるためにはリズムは循環していなければならない。
身体のかかわる時間は、足と手と息の三つの先端が表現している。足を上げる、足を下ろす。踏む強さと速さで時間を区切る。肘を開く、下して上げる、肘を引く、肘の位置は指のさまざまなかたちになって表れる。それらは区切るというよりは、持続する時間の変化するパターンを見せる。息を吐き、息を吸う。その作用は加速と減速の不規則な曲線で、手足の動きへの抵抗を和らげる。
音楽は身体の時間とかかわっていると言えるだろう。だが、足の動き、指の描くかたち、どれをとっても、普遍的な方程式はなく、その三つの重なりとずれは、それだけでも複雑であるだけでなく、世界のなかで文化のちがいと歴史の残した傷跡、音楽家の立場と見ている方向によって、二度とおなじ表現はないだろう。
近代の時間は身体の時間ではなく、時計で計る時間で、生活はそれで区切られ、管理されていて、音楽もその例外ではない。メトロノームができ、時計の時間は重みや抑揚ではなく、格子の枠のなかで計られる。それでも、身体の時間を排除するわけにはいかない。身体と時計の二通りの時間のあいだの緊張した関係に一時的に折り合いをつけながら、生活があり、音楽もまたそのなかにある。作曲される音楽の見かけの秩序は、現実に音楽が演奏される時の時間のありかたを予測することが部分的にしかできない。そこからこぼれ落ちる「おどろき」が、演奏スタイルでもあり、現場の偶然も折り込んだ一回だけの経験にもなりうる。
音楽は過ぎていく。音楽は音の記憶、残響と余韻でしかない。そこにはまた、予感が絶えずはたらいている。それがメロディーの成立条件なのだろうか。過ぎた音の記憶を、予感とそれを裏切る現実の響きに結ぶ、それが音楽を聞くことなのか。説明も伝達もできない、メタフォアも届かない、よりどころのない記憶と、聞かなかった人たちにも感染力をもつ、実体のないイメージが漂っている。
過ぎていく音を書きとめる楽譜を書く手は音には追いつかない。書こうとしてイメージを循環させるうちに動きの記憶は変わる。循環と変形を書くことを遅延装置による構造化と呼べるだろうか。一回限りの即興から複数回の演奏が可能になるようなパターン、「型」や「手」が定着して、音を紙の上に書く行為が演奏から分離して「作曲」になるなら、演奏されなくても、ここではないどこか、いまでないいつかに、「作品」が存在するように思えるのか。作業過程がこのように分離していて、その過程を逆にたどって、書かれたページの演奏と、そこに介入してくる即興の順で見ても、聞こえる響きを構造の表面として分析して理解しなくてもいい。そうした理解や記憶は職業的なものだろうが、抽象的な知識の例証として音楽をあつかう方向に逸れていきやすい。
要素還元主義と全体システムの両極から考え、合理主義的な透明性で社会や文化を理解する傾向への反省が1960年代の終わりにさまざまな分野ではじまった。人間の毎日はなんとなく過ぎていく。動きながらその瞬間にしていることを意識していることはすくない、動きのすべてを管理している自分という統一体を意識しながら動くことはさらに稀だろう。管理されなくても、動きのパターンが循環していれば、意識がなくてもシステムはある。パターンを使いこなすには、要素分析と再合成というよりは、動きの分節だけでもいい。1950年代から60年代にかけては、要素のあらゆる組み合わせとその分類から構造を組み立て、それに順序を付けて作品を構成する技術があった。いまでは学校でも教えられているらしい。
分類しないで、雑多なものを貼りあわせ、分節するコラージュは、異質な素材のあいだの緊張と、モンタージュのように、似たような概念だがあらかじめ想定された全体のための効果になってしまった手法とちがって、断片と解体のあいだで、まだ飼い慣らされない違和感と居心地の悪さを残しているような気がする。弱く細い道は複雑な現実のなかで途切れず続くのか。
即興は言うまでもなく、音楽の作曲にしても、演奏にしても、具体的な状況のなかで生まれ、音楽史ではなく、世界の方を向いている。