ヨルダンに行くとシリアから若者たちがたくさん避難してきている。中には、自由シリア軍として戦い、手足をもぎ取られ、すべてを失った若者もたくさんいる。リハビリセンターで治療を受けて治ったらまた戦場に戻る若者たち。
そこまでして身をささげるべき革命があるのだろうか? 僕には、復讐にしか思えないときもある。それでも若者たちの目は清んでいる。
一方、北イラクのアルビルに行くと、モールやカフェやレストランで働くシリア難民の若者たちがたくさんいる。イラク戦争後急成長したこの町は、第二のドバイを目指しているというぐらいだから、シリア難民だろうが外国人労働者だろうがチャンスは転がっている。
モーグル君は17歳。シリアのカミシリから避難してきた。兄と一緒に暮らしている。まだ高校を卒業していない。
父は、高校の校長先生、母は、フランス語、姉は音楽の先生という教育熱心な一家に育った。英語もよくしゃべるし、賢そうなので、働いてもらうことにした。ところが、どこか抜けている。方向音痴なのかすぐ道に迷う。小児がんの子ども達のために買ったクリスマスケーキも、乱暴に持ち運ぶので、あけてみたらテントウムシのケーキがつぶれていたり、掃除とかを頼むと、「それは、僕の仕事じゃない」という。
「じゃあ、もう来なくていいよ。仕事もないし」
というと彼は涙目になってしまった。
「お兄さんが、交通事故にあって、働けなくなったんだ。」
「お姉さんも車にはねられて、それから欝になってしまったんだ。僕一人で働かないと家賃が払えないんだ」という。
「じゃあ、難民キャンプに行けばいいじゃないか? テントだけど食べるものもあるし」
車の中で気まずい空気が流れた。
僕が帰国すると、次長のところに彼からメールがとどいたという。「私の悲劇」と大げさなタイトルがついている。
「人生はつらいことだらけ。それでも前を向いて、明日はきっといいことがあると夢見てきた。もっと強くならなければと自分に言い聞かせてきた。あなたは、雨漏れする家で勉強したことがありますか? 成績が悪くて、お父さんにかみつかれたことがありますか? 誰も支えてくれずに、一人で泣こうとしたことがありますか? 僕は、今まで何度も自殺を考えました。でも、目の前の戦争から逃げる決心をして、あなたに出会えて、希望の種を植えてくれた。ここではお金がないと生きていけません。僕を首にするなんて、目の前が真っ暗になりました。助けてください。」
ヨルダンで出会った戦争で手足をもぎ取られた子どもたちが一生懸命生きている姿を見てきた僕は、また、大げさなことを言っているなあと思いながら読んでいたが、ちょっとやっぱり自殺されても困るし、これは何とかしなくてはいけないという思いが沸々と沸いてきたのだ。次長を派遣。それで何とか、モーグル君に仕事を頑張ってもらい、しばらく雇うことに決めた。しかし、彼には仕事に対する情熱があるわけでもなく、「僕は怒るとおなかが痛くなるんだ」と言って休むし、「掃除をしておいて」と頼むと、「仕事としてはやらない。でも友達だから手伝う」という態度に次長が、「仕事として雇っているのよ! 友達じゃないわよ」と問い詰めると、モーグル君は、とうとう鼻水をすすりながら、泣き出してしまったのだ。
「シリアに帰ります」と言い残して事務所を去り、翌日シリアに帰っていった。ちょっと僕らもモーグル君がかわいそうに思えてきた。17歳の男の子が、戦争によってつくられた援助ビジネスの狭間で世界を相手に去勢を張らなければいけない。「私の悲劇」とは、まさにそのことだろう。彼の涙の向こう側には、お父さんとお母さんが待つシリアが透けて見えた。「故郷」とは、越してきた土地で、つらい思いをして初めて感じるものかもしれない。