四月も半ばを過ぎたある日、宮城県大河原町へと向かった。東北屈指の桜の名所、一目千本桜を観るためだ。
東北新幹線に乗るのは15年ぶり。久々の遠出に心が躍る。駅弁と暖かいお茶を買い、切符を手に座席を探す。仙台には1時間半で着くと言う。どういう技術革新か、私には見当がつかないけれど、東北も随分近くなったものだ。しかも、いまは乗り換え案内サイトに目的地を入力すれば、最短最速のルートを示してくれる。素晴らしい。この旅だって、前日にインターネットで調べたところ、都内から大河原町まで3時間とあったので、それならば、と急遽思い立ったのだ。
仙台駅で新幹線を降り、在来線(東北本線)に乗り換える。出発時刻まで売店を覗き、10分前にホームへの階段を降りていくと、ここが始発なのだろうか、既に到着した電車が乗客を待っていた。私は少し驚いて、それから、自分が、電車は常にホームで待つ乗客よりも後にやって来るものと思い込んでいたことに気づく。山手線の外に出る機会が少ない暮らしを送っていると、自ずと常識はそのように導かれる。
電車に乗り込むと、車両には、四人が向かい合わせに座るボックスシートと横に並んで座るロングシート、両方が備え付けられていた。空いている席を見つけ、腰掛ける。ここから大河原町まで30分かかるという。
間もなく電車は動き出した。長町、太子堂、南仙台。最初はマンションやアパートが多かったのに、段々と一戸建ての家が増えていく。どの家にも屋根がある―そう思った。おかしなことを、と笑われるだろうか。しかし、狭い敷地にぎりぎりいっぱい建物を建てる東京都心では、マンションにせよ、一戸建てにせよ、建築物全体の形を把握するのは難しい。なにしろ建物と建物が近すぎるのだ。
私は興味深い思いで窓の向こうを眺めた。時折、貨物列車とすれ違う。並走するように敷かれた線路の向こうには、二階建ての家が並んでいる。どの家にもカーポートが設置されていた。そして、そこには大抵、お行儀良く、一台、もしくは二台の自家用車が収まっている。アルミサッシや網戸。張り出したバルコニー。小さな庭。塀や生け垣、門や表札。家の中は覗けないのに、和室があるような気がした。黄色い箱を開けると、白い紙で包まれたキャラメルが詰まっているように、ひとつひとつの家の中には家庭というものが――"ちゃんとした家庭""ちゃんとした家族"というものがセットされているような気がした。屋根のある家では、春には春の、夏には夏の、盆や暮れ、お正月の行事が、ごく自然に行われ、人が生きたり死んだりしている。それは私の勝手な想像だ。わかっている。
私は、バッグから売店で買ったコーヒー牛乳を取りだし、口に含んだ。落ち着こうとした。恐ろしかった。一戸建ての家を見ると、なぜだろう、いつも、恐ろしい、と思う。いつからそう感じるようになったのか、自分でもよくわからない。自分が何かに強く拒絶されたような気持ち。一戸建ての家はちゃんとしていて、それに比べて私はちゃんとしていなくて、でも、ちゃんとしようとしているのにちゃんとできないわけではなく、ちゃんとする気なんて私にはもともとなかったのに、一方的に撥ねつけられて驚く感じ。大体、ちゃんとするって何?――襲ってくる恐怖心を解きほぐすべく、自分に問いかけてみるけれど、答えが出ない。
白石川堤の桜は見事だった。悠々と流れる川の両岸に並木は遠くまで続き、私は、8キロあるという遊歩道の約半分を二時間半かけて歩いた。
帰りの電車は、平日夕方、下校する学生も多く乗り合わせ、車内は大変賑やかだった。老若男女、みんなお喋りに夢中だ。いつもこうなのだろうか。最初は微笑ましく感じていたものの、物珍しさがなくなると、騒々しさに耐えかねて、私はイヤフォンを耳に差した。そして、さらに騒々しいアート・ブレイキーのドラムを、ボリュームをあげて聴いた。それとなく辺りを見回すと、イヤフォンで耳を塞いでいる人は私ひとりだけだった。窓から差し込む春の西日が眩しかった。
仙台駅でお土産に、はらこめしとずんだ餅を買い、来た時と同じ、一時間半で東京に着く新幹線に乗った。東京駅から事務所のある恵比寿駅まで、普段使う地下鉄ではなく、その日は山手線に乗った。数時間前に乗った在来線にくらべ、ずっと人は多いのに、車内はとても静かだ。お喋りしている人はいない。乗客の多くはイヤフォンをして、手のひらの中のスマートフォンを見つめている。立っている人も座っている人も、LEDライトの光に照らされている。明るい光。白い光。眩しくない。みんな黙っている。