外山の長明について

イギリスの詩人バジル・バンティング(Basil Bunting 1905-1986)は1932年エズラ・パウンドのいたイタリアの Rapallo で Marcello Muccioli による『方丈記』のイタリア語訳を読んだ。『方丈記』は詩の素材として書かれたのではないか、それを凝縮して日本の新しい詩のかたちを創造する時間もエネルギーも、老いた長明には残されていなかったのなら、英語でそれをやってみよう。仏教的無常感は薄れ、都会的・懐疑的でアイロニーにみちた長明の視線に重点が移る。それをふたたび日本語にしてみれば、12世紀の日本語が20世紀のイタリア語と英語を通過したいまの日本語でどう変っているか、いまの状況でどうに読めるのか。

以下の訳詩は全体の1/3ほどまで。

      ●


外山の長明  バジル・バンティング

(鴨長明 1154年加茂に生まれ 1216年6月24日外山日野山上に死す)
*[日付はすべて旧暦か?]

渦巻まどろむ滝のなか!
水たまりには 泡が現れ
        また隠れ!

軒をきそって
そびえ立つ京の都は
ゆたかでも 古さに欠ける!

解体屋が這いまわる
大工は階に階を重ねて
敷地の隅まで 庭だったのを
長屋に変える

なじんだ町で
若者たちに見つめられ でも
知った顔はすこしだけ

生まれ来るのはいずこから? 死が
連れ去るのはいずこへ? 惜しむのはだれを?
心はずむ足音はだれの?
露にそまる朝顔はしぼむ 露は花より
生き延びるのか

ここ四十年のできごとを思い起こそう

1117年5月27日の
夜8時 樋口 富の小路から火の手があがり
一夜のうちに
宮廷も官庁も 大学 会議所も
焼け落ちた 風にあおられて
炎はひらいた扇のかたちに拡がり
裂けた火先が伸びて跳ぶ
空には赤く炎に映える灰の雲
ひとは煙にむせび 焼け死に 身一つで逃げ
家を失った高官は16人
貧民は数しれず 町の3分の1が焼け
死者数千人 牛馬は
とても数えきれない

不動産に投資する人間の愚かさよ

それから3年にあと3日 風が
郊外の大通りから
半キロ幅の通り道を切りひらいて
六条大路まで吹き抜けた
家はみな倒れ あるいは崩れ
あるいは裂け落ち また残った
梁がまっすぐ土に刺さる
あたり一面
屋根が散らばり 風が投げとばす
家具が次々に宙に舞い
みなつぶされて 枯葉のようにはためく
埃は 霞か煙のよう
聞こえるのはどよめきだけ
    地獄のはやてだ!  * [神曲地獄篇第5歌]
足くじかれる者 傷つく者
このつむじ風は西南に曲がった

いわれもないみなごろし

なんの前触れ?

同じ年に へきれきの遷都
京都に永く定まって
変える必要もなく たやすくもない
しかし 不満の声も小さく
移ったのは 職をもつ者
そのほか 職を求める者 居候 
先を争い 急いで行った
空いた部屋に突き出た棟木を
取り外し 川に流せば
土地は藪に還った

新しい場所を訪ねてみれば せまくでこぼこ
崖と沼 とどろく海辺 強風吹きやまず
宮廷は山あいに取り残された丸太小屋
(風流と言えなくもない)
家を建てられる平地はなく 空き地が多い
以前の都は壊され 今度は仮小屋
雲のように変わる見解 口をひらけば口論ばかり
百姓は土地を取られて泣き 移住者は物価に呆然
装束もそろわず 群衆は
復員兵の群れのよう

ささやきが聞こえ 時とともに声になる 
冬には布告は取り消され
京都にもどったが
家はすでになく ふたたび
建てる財力もない

聞いた話では むかしの王たちは茅葺きの家に住み
煙突を見て
煙がすくないと 税を免除した

いまの状況を評価するなら
古い時代と照らしてみよう

旱魃 洪水 飢饉 実りない秋2回
市場にものがなく 群がる物乞い 宝石を
一握りの米に換える 死体が
道端で臭い 川沿いに積み重なって
車が通れない
その冬は壁をこわして薪にした

父は子に食べさせて死に
赤ん坊は死体の乳を吸って死ぬ
法師がめぐって額に印す
阿弥陀の阿の字 安息のために
東町で数えてみると このふた月で
阿の字は4万3千 

ひび割れ ほとばしれ 山よ 小川を埋めろ!
牧場に 海よ 緑ガラスを敷き詰めろ!
悲鳴 なだれ 岩が乱れ落ちて 谷をふさぐ!
ああ 海にもまれる舟よ ああ 揺れる路で
足の踏み場のない馬よ 大地の力!
これこそ地震 これが
元暦の大地震!

神社は崩れ 僧坊も 寺院も 小さな祠も
崩れ 埃が舞上がり 家の壊れる音は雷のごとく
鳥ならば飛び 竜ならば雲に乗るものを!
地震だ 元暦の大地震!

子どもが高い塀の脇で泥の家を作っていたが
突然押しつぶされて 眼球が
二つの房のように眼窩からぶら下がったのを見た
父親は恥も忘れて号泣していた 役人だったが
泣くのを見られても 恥とは思えない     *[これは方丈記にはない]

こんな揺れが3週間続き それから少なくなって
それでも毎日一度は並みの地震
やがて間遠に 二日 三日おきの揺れになった
記録には これ以上の地震は見えない
そのせいで宗教が復興したが
月が経ち
年を経て
......
いまは言い出す人もない

これはたよりない世界
そのなかにいる人もたよりなく 家もまた

貧乏人が金持ちのそばに住めば
騒がしい宴会もせず 歌もうたわない
こどもを家で遊ばせ 犬を飼えるのか?
残念なことでも泣き寝入りしかない

人を訪ね お世辞を言っても 身の程を思い知らされ
ズボンの継ぎを思いだす
妻子には貧乏人とさげすまれ
平和なときがない

路地のあばら屋に住めば
火事がこわいし
通勤するのは時間のむだで
毎日家を空ければ強盗にあう
官僚は強欲
国税庁に親類がいないのは
お気の毒!

助けてもらえばそれにしばられ
つきまとわれて感謝を強いられ
成功をのぞめばいやな思い
望まなければ 変なやつと思われる

落ち着く場所と ふさわしいしごとで
心がはたらき からだが憩うのはどこだろう

(つづく)