チョコレート募金が無事に終わったばかりなのに、もう次のデザインを考えなければならない。でイラクの小児がんの子どもたちの絵を集めなければならない。しかし、なかなかテーマが浮かんでこないのだ。次回は10回目。もう10回もデザインをやっているんだ。ネタも尽きるはずである。スタッフの女史に聞くと、「ハッピィですよ。ハッピィを絵にしてもらうんです。」「ファレル・ウイリアムスのハッピィという曲に合わせて、みんなで踊るんです。」
確かに踊りながら子どもたちがハッピィを感じると面白い絵が出来るかもしれない。そこで、病院にお願いして子どもを集めてもらって、「さあ、みんな。どんな時にハッピィかな? その気持ち絵にしてみよう!」みたいなノリでやるはずだったが、アラビア語が通じない。クルド語しか話せない患者ばかりだった。通訳をやってくれるはずだったドクターもいきなり会議で「ごめん! でられない」と去って行ってしまった。折角買ってきたケーキも、食べずに、ケモセラピーに行ってしまう子どもたちもいた。
段取りが悪すぎる。スタッフ女史は、「段取り悪すぎますよね」と愚痴りだした。で、僕も、頭にきた。そんなこと言われても、「この国は段取り悪いの当たり前だろう。愚痴られてもなあ、こんなやつ、連れてくるんじゃなかった」イラク滞在中はずーっとそのスタッフ女史と口論をし、時には冷戦状態が続いた。
ふと病院の庭を見るとバラの花が咲き誇っている。山の方に行けば、赤い芥子の花が咲き乱れている。そう、北イラクの4月は、花の季節なのだ。程よい太陽の光を浴びて、輝く花たちは、春の息吹そのもの。夏の花とは違って新緑とともに美しさが際立つ。沈み込んでいた僕の心も浮き浮きしてくる。
それで、僕は実際の花を摘んで、癌の子ども達と一緒に絵を描いてみた。子どもたちは、花の絵を描いてとお願いすると、何も見ずにすらすらと描いてくれる。「ちょっと待って、この花見てみて」花びらを一枚、一枚見ながら、子どもたちも幸せな気分になっていく。
ローリンちゃんは、シリア難民。14歳だ。カミシリに住んでいたが、2012年のクリスマスにがんだとわかり、ダマスカスの病院に入院した。大統領夫人も肩入れするバスマというNGOの支援があり、治療と家族の生活費が支給されていたが、ダマスカスの治安も悪化しはじめ、少女の誘拐レイプ、化学兵器の使用のうわさを聞き、ダマスカスを逃れ、北イラクの小児がん病院を目指し、難民になったのだ。アークレというアルビルから車で2時間ほど走った難民キャンプで暮らしている。キャンプでの生活は厳しい。病院までの通院の費用もかかるし、薬代の一部を自己負担しなくてはならない。
早速ひまわりを摘んでローリンに会いにいった。難民キャンプについてみると彼女はいなかった。母は、生活が苦しく、ローリンがいつ死んでもおかしくないことを訴え、涙を流した。明日病院に行くのでアルビルに向かったという。すれ違いだ。「いないじゃないですか。往復4時間無駄にして」ここでもスタッフに睨みつけられる。「明日だ。明日病に行ったら会える」どうしてもローリンに花の絵を描いてほしかった。
さて、最終日、朝から病院で打ち合わせ。終わった後、ローリンを探しに病室を回るが、来ていないという。検査に来ないなんて。心配になる。
仕方がない、あきらめて飛行場に向かおうと思っていた時だ。バラの花を持った少女が、立っている。何やら先生から諭されていた。「どうしてお花を切るの? お花にも命があるのよ」少女は申し訳なさそうに、つぶやいた。「あまりにお花がきれいだったから」「まあいいじゃない。二階に行って絵を描こうよ」私は少女の手を取って2階にあるプレイルームに連れて行った。
彼女が摘んだバラの花を一緒に描いた。そして、絵具の使い方を教えてあげた。鳥肌が立つ。しかし、12歳のイマーンちゃんは癌の最終ステージでもう手の施しようもないという。イマーンちゃんのお母さんは、始終涙を浮かべている。長くてあと1ヶ月の命だと医者は説明してくれた。イマーンははにかみながらも、バラをピンク色に塗っていった。「いのちの花」、、、アラビア語で書き添える。
イラクの春。僕は、小児がんの子どもたちに花の絵を何枚か描いてもらうことができた。一枚一枚に命がこもっている。これをこれからパッケージにしていく。来年のチョコレートは花の種を添えておくりたい。花が咲いたら子どもたちのことを思い出してください。