外山の長明(つづき)

詩人バジル・バンティングは北イングランドに生まれ、クエーカー学校で教育され、良心的兵役拒否で1918年に半年ほど投獄された。詩への興味からペルシャ語を独習し、第2次世界大戦中に諜報機関M16に加わってイランに派遣され、外交官や新聞記者を装って、1951年にモサッデグがイランの石油を国有化したとき、CIAが組織した暴動やクーデターにかかわっていたらしい。1952年イランから追放されて故郷に帰った。イギリスの芸術家=旅人=スパイの系譜は、チョーサー、クリストファー・マーロー、ダウランド、デフォーから現代まで続く。

ではバジル・バンティング『外山の長明』の後半ー


祖母が家を残してくれたが
いつもはいられなかった
からだも弱いし さびしかった
30になった時 こらえきれずに
身にふさわしい家を建てた
竹の一部屋 車置き場かと思われて
雪も風も防げない
家は河川敷に立ち そこらあたりは
やくざなやつらで あふれかえる

この時代は
あるべき世界を思って悩んだが
50歳になろうとして
もう時間がないとさとり
家とつきあいから離れた
雲のかかる大原の山に
春 秋 春 秋 春 秋と
ますますむなしく

60年は露と消え
最後の家 いや 小屋を建てた
狩人の仮の宿 古びた
蚕の繭
10尺四方 高さ7尺
すみかというより泊まる場所
これまでの定礎式もなしにした

枠組に粘土を塗って
角を掛けがねで留める
かんたんにはずれて この場所に飽きたら
運んで行けるように
手押し車2台の残骸と
車を押す人の費用だけ
手間がかからない

日野山に踏み入って以来
昼は竹の縁側の
日除けでしのぎ 夕日は
阿弥陀を照らす
窓の上の棚に本を
琵琶と箏を手許に置いた
ワラビとわずかなワラを敷いた寝床
平机を陽だまりに 小枝をたきぎに
石を集めて 組み合わせ
池を作って 竹のかけひ
薪は積まなくていい
雑木林でじゅうぶんだ

外山は ツタに覆われ
外山は 深い渓谷の奥
西側はひらけ おもかげが楽園から
藤の青い雲の上に立ちのぼる
(香は西へ 阿弥陀へ流れ)

夏のカッコウが「来るかい 来るかい」と
冥界の山路に誘い
秋のキリギリスが甲高く鳴いて
「移りゆくこの世」
戸口に雪が積もり
溶ければ 罪のなだれとなる
静けさを破る友もなく
つとめを怠っても咎める者もいない
日に一食のつつましさ
節制を破りようもない

舟の跡の白波は
明け方に満沙弥の見た舟が
岡の屋を
漕ぎ出た跡の水は光る
「モミジ葉とカツラの花に」と
午後が囁き 白楽天が
潯陽江の岸辺で別れを告げる
(琵琶の調べをためしてみれば)
指よ しなやかであれ 『秋風の曲』を
松に聞かせ 『急な流れ』を
水に聞かせよう うまく弾けないが
聞く人もいない
ひとりだけのたのしみだ

16歳と60歳 山番の子と二人
遊びまわって つばなのつぼみをしゃぶり
遊びまわって 柿や岩梨
唐黍を谷の畑からいただいてくる

峰から見れば 空が京都にかかり
里は 伏見か鳥羽か
つましいたのしみ
思いは峰を伝って走る 炭山に登り
笠取を越え 寺をたずね
石山に参る(足を痛めず)
詩人たちの墓詣で 蝉丸の詩に
  「これもあれもと
   一生は走り過ぎ
   あれもこれ
   屋敷も藁屋も
   住みにくい」      *これやこの/行くも帰るも分かれつつ/
                知るも知らぬも逢坂の関

みやげには 桜の花や モミジ葉が
季節のままに仏壇を飾り
思わぬ客に花の一枝をそなえる時も

晴れた月夜に
窓辺に座り 浮かんでくる古いうた

「猿の叫びに袖をぬらし」    *巴猿三叫 曉霑行人之裳」(大江澄明)

「あれはホタル
 真木の島の
 漁火に似て」         *木の間より見ゆるは谷の蛍かも
                 漁りにあまの海へ行くかも(伝喜撰法師)

明けがたの雨は
葉叢にうたう
岡のそよ風か          *神無月寝覚めに聞けば山里の
                 嵐の声は木の葉なりけり(能因法師)

「キジが鳴けばこころは揺れて
 ちちははを思う」       *山鳥のほろほろと鳴く声聞けば
                 父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ(行基菩薩)

灰を掻き起すと
     「火がはぜて
燃え上がり たちまち燃え尽きる
老いの連れ合いにふさわしく!」  *言ふ事も無き埋み火をおこすかな
                 冬の寝覚めの友し無ければ(源師頼)

景色一つ
一つの季節にとどまらず
心はうごき
思い出は尽きない

ひと月のつもりで来て
もう五年
屋根には苔が生えた

なにがしが亡くなったと
京都のうわさ
この空間は身の丈相応

おのれを知り 人の世を知る
......
乱されたくない

(勅撰集の
 編者になれだって?
 乱されたくない)

きみは妻や 子や
いとこ はとこを
もてなす家を建てなさい

召使も友だちも持てない身なら
こんな世で
身ひとつのためでなく
なぜ家を持つだろう?

友だちは金持ちのカネをアテこみ
友だちはエライひとにタカる
まともに生きるなら 友はいない
友とするのは楽器の糸と季節の花

召使の働きは
給料しだい
平和と静けさ それがどうした?
町のほうがもらいが多い

自分で床を掃けば
  文句もないし
歩いて疲れたって
馬の世話はいらないし

手足は見なくても
まめにはたらく
疲れさせはしないし
健康にもよい

上着は藤衣
敷布は麻
食べものは
木の実と若菜

(言うまでもなく
これらすべては個人のことだ
富を楽しむ者たちに
簡素な暮らしを説いてはいない)

移りゆく川霧の身は たよりにならない
たいしたことも望めない
夕食の後は宵寝して
季節のめぐりを見るのもよし

渇望 いらだち 無気力
それがこの世の流れ
渇望 いらだち 無気力
くるまを持ってもよくならない

お仕着せの召使では
よくならず 砦をまもっても
よくならない こんなことではおさまらない
渇望 いらだち 無気力......

都には居場所もなく
乞食と思われるが
ここの暮らしになじめないきみは
お気の毒だが 俗世間にそんなに染まったか

月影は闇に溶け込み
崖の小道に
危険な角が待っている

ああ 嘆くことはない
世によいものは何もないとブッダは言うが
この小屋は気に入った......

世を捨てて
見かけだけは
出家のようだが

貧乏暮らしはたのしくない
感情に駆られるたちだから
舌があわてて
念仏を二三回


(原詩を読みたければ http://www.poetryfoundation.org/poetrymagazine/poem/9369