しもた屋之噺(149)

窓の外はどこまでも薄い青空が広がり、眼下には沸きたつ白い雲海がびっしり敷き詰められて、太陽光に反射して輝いています。ミラノに戻る機中で、この原稿を書いています。明日は朝から学校のレッスンで、もうすぐ試験期間ですから、学生もきっと少し緊張しているでしょう。これを書いたら、ともかく眠って身体を休めたいと思います。

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 4月某日
水牛の原稿はもう送った。バッハの「14のカノン」による新作をともかく形だけにはしたい。しかし譜読みが遅れている楽譜が頭を過ぎり、放下できない。

 4月某日
美しい夕焼け。今日は朝から学校。一年間教えて来た生徒たちは、ここに来て少し形になった気がする。
こちらはやることが多すぎて、頭がついてゆかない。今度日本に帰って、譜読みも作曲も間に合わないとユージさんか野平さんに嘆いたら笑われるに違いない。指揮は読まなければいけない音が多くてと言えば、ピアノは全部自分で音を出さなければダメなんだぜ、と返ってくるに決まっている。焦っても仕方がないので、机に向かう。

 5月某日
朝からバッハ「14のカノン」7番による弦楽作曲。午後は放っておいた芝刈り。ドナトーニのCDに書いた下手な仏語の解説文をブークリさんに直してもらっていて、In Cauda Venenum
の含蓄は、イタリア以外では通じないと知る。ラルースの引用より、イソップの「狐とカラス」を例にあげたらというと、それならフランスではフォンテーヌ版の「狐とカラス」がいいわね、誰でも学校で習うから、とのこと。「行きはよいよい、帰りはこわい」とは、我ながらなかなか名訳とほくそ笑む。

 5月某日
大雨。前に日記に書いた鯨肉について。特に鯨肉に思い入れはないが、他人事とは思えないのは、生活に不可欠ではないが、なければ人生が薄ぺらくなりそうだから。ゲンダイオンガク何某とかいうあれに似た親近感。

 5月某日
1日学校で教え夜マスターを聞き直す。朝、学校にゆきがてら、路地裏の「中国式按摩中心」に、ピンのような細長いヒール靴に、黒いミニスカートを履いた痩せぎすの妙齢が入ってゆくのを目で追いつつ、やるせない気分に襲われる。授業中、ぼんやり慰安婦について考えていた。

 5月某日
毎朝、息子を学校へ送りに行きつつ、ショパンの二つの協奏曲の練習に自転車で出掛ける。ミラノで練習と本番があるのは珍しい。コントラバスに10年ほど前、音楽院で教えていたカルロがいて、3歳の娘さんがいるという。懐かしいし、彼の音楽活動が続いているのは何より嬉しい。

 5月某日
マルペンサから東京にむかう機中。先日の国立音楽院でのエンリコとの演奏会当日は、家人が留守で、午後息子を学校に迎えにゆき、ドレスリハーサルにつれてゆく。想像通り、楽団員は大喜び。ショパンのような協奏曲でも、フレーズの終わりは、ピアニストに追随するだけでなく、指揮で方向性を提案すると、双方向で音楽的になると知った。セレーナとカニーノさんが思いがけなくいらして下さる。

 5月某日
東京着。朝から譜面に向かう。時差ボケで寝るのは朝の6時。アイマスクをして寝て、朝の9時頃からまた譜読み。夜明けの5時頃、中央郵便局に手紙を出しにゆきがてら、向かいの24時間営業のスーパーに入り、239円の刺身を90円で購う。早起きは149円の得。気がつくと、山鳩がほうほう啼いている。子供の頃東林間で聞いた啼き声。「グレの歌」の旋律。

 5月某日
沢井さん宅へお邪魔する。弾き易いよう音を減らそうと伺うと、弾けないところはないですと言われ驚く。まさかと思いつつ、五絃琴はここにないか尋ねると、出して下さる。思いがけなく本物を手にした感激から、随分長い間喜々として遊んでしまい、忙しいさなか何をしにきたのか分からない。沢井さんの演奏を聞いて、「クグヒ」は、目の前で演奏して下さった沢井さんの「六段」に影響を受けていることに気付く。無意識のうちに彼女の凛と澄んだ古典の響きに憧れて書いていた。

 5月某日
目の前の小学校校庭で、あまちゃんの主題歌で組体操の練習。「天国と地獄」のカンカンと「あまちゃん」は似ている。尤も、文明堂のカンカンと言った方が日本人には納得がゆくだろうが。情報の多さに、頭と耳がついてゆかない。夕べは明け方まで、ピアノで和音を拾い弾きしたが、聞ききれない。もっとも、指揮者が聴こうとしなければ、誰も音を聴けなくなってしまい、指揮者が合うと信じなければ決して合わず、合わないと思った時点で合わなくなるのは自明の理なので、一人でも楽しみにしている人がいる限り、出来るだけのことはしたい。

 5月某日
若い作曲家たちに会う。器用におかれた音も、不器用におかれた音も、不安と希望に満ちていて、無意味であったり、無味乾燥とした響きに陥らない。思いの全てを書き連ねたエネルギーは凄まじく、尻込みしたくなる。バンコクからきたシラセートに、クーデターについて尋ねると、「あまり心配していません。僕らはもう慣れっこですから」。

 5月某日
エトヴェシュさんは情熱的で思いやりに溢れている。こちらが音を正確にはめようとし過ぎることを諌めて、音楽の流れについて話した。響き一つ一つについて、目をみつめながら話す。

彼とは三日間色々と話した。最後の練習が終わったとき、「じゃあね」と一度挨拶をしてから振り返り「君は賞の順番は分かるかね」と仏語でぽつりと尋ねた。順番が既に決まっているとは思っていなかったので一度怪訝な顔をむけると、同じ言葉をもう一度くりかえした。「いいえ、全く分かりません」と応えると、「そうだな、その方がいい」、「そうですね」。

それまでの彼はまるで審査員らしからぬ態度で、リハーサルに積極的に参加して、音のバランスやテンポ、構造をどう表現するかについても発言していたし、実は音まで一つ変えたから、指揮者としてオーケストラには随分と迷惑をかけてしまった。

まるで本当にワークショップで教師が生徒の作品を最高に仕上げようとする姿そのままで、およそ審査員らしからぬ態度だった。彼が書いたように新しいオーケストラのレパートリーをここで作り出したいと心から願っていたように見えた。けれど、あの最後の練習の後、彼は審査員に否が応でも戻らなければならなかった。それは、少し寂しそうにも見えて、後姿を見送りながら、彼の真心を本番でできるだけ演奏者に伝えたいとおもった。

本番の朝、彼の控室を通りかかると呼び止められて、みると奥さんに「ほらあなた」と急かされている。はい、と差し出したのは、金のマジックでメッセージが書かれた彼のCDだった。思いがけないプレゼントを両手で受け取りながら、何か互いに理解できた気がして、本番に向けどうしようかと悩んでいたことは吹っ切れた。

ドレスリハーサルのあと、作曲者たちと昼食にトンカツを喰う。なぜかジョヴァンニ・ダリオがこちらを凝視したまま箸をつけないので尋ねると、どうやって食べるのかを観察しているのだという。先日、ワサビを一気に食べて偉い目にあったのだそうだ。

本番後、知り合いからどの曲が好きだったかと尋ねられたが、本当にどの曲も好きだった。それぞれに面白さがあり、それぞれにむつかしかった。本番を終えて、靴を脱いだところで野平さんがみえて、続いてすみれさん夫妻と功子先生がご挨拶にいらした。皆さんお元気そうで嬉しい。

コンサートマスターを見事に務めた松野さんは、小学生の頃から尊敬するヴァイオリンの先輩だった。ヴァイオリンで同門だった浅見さんに思いがけなく声をかけて頂き感激した。みなヴァイオリンを誠実に続けていることが、ただ羨ましく、感服する。そんな音楽に対する掛け値なしの愛情が自分にあるかと自問しながら、毎練習後帰途につく。

 5月某日
7時起床。仕事のメールを片付け、渋谷のトップでツナトーストとマンデリンを頼む。東京にいる間、ささやかな自分への褒美は、子供の頃から数え切れないほど食べたこのトーストと珈琲を、子供の頃から知っている店長さんに作ってもらう至福。そのあとNHKでレスピーギについて少し話し、夜「味とめ」。酔っぱらう前に教えてほしいとユージさんにテキストについて相談するが、マンボウ刺で「朝日」を呷り話しているうち眠り込む。目が覚めるとユージさんは、オーケストラの可能性について話していて、自分よりオーケストラに新しい次元を見出していて新鮮な羨望。帰りがけに煮たばかりのきゃらぶきを頂く。きゃらぶきとタラの芽は、子供のころ両親としばしば登った大山の山道を思い出す。

 5月某日
空港で佐藤さんよりお電話をいただく。ジュネーブのブリスから頼まれ、テレムジークの所在をさがしていて、有馬さんから頂いた佐藤さんに今朝メールをお送りしたばかりだった。夕べ遅く家につくと、ドナトーニのCDが完成していて、発売日まで発表になっている。偶然なのか、意図したのか、ドナトーニの誕生日が発売日と気づき、一瞬鳥肌が立つ。 

(5月27月日シベリア上空にて)