製本かい摘みましては(99)

長いエスカレーターを眼下にすると頭から吸い込まれそうで、どれだけ遅刻していてもかけおりることができない。手すりを握って目線は上に、おとなしくからだをまかせる。永田町駅、ここのエスカレーターの照明は東日本大震災をきっかけに間引かれたまま。ほんとうにそれまですべての蛍光灯がついていたのか、どれだけ明るかったのかと思わせる。いつかこの照明もきれいに整理されるのだろうか。いやこの間抜けな状態のままがいい、見るたびにこうして思い出すことができる、間引かれたわけを知らない小さなひとがおかしいと笑うときに話してあげられる。薄暗いという不便もない。ぼんやり見上げていると手ばかりが前にいくので、足もとの速さに合わせて時々手すりを握り直す。この一瞬さえちょっとこわい。エスカレーターはどこもみな手すりのほうが回転が早いのだろうか。

電車を乗り換えて文庫本を開く。数ページ読んだところで車中の読書はおしまい。目の調子が悪い日はしかたがない。暑くて今日は半袖だ。露出にまだなれていない自分の肌がおかしい。左腕のよっつのほくろ。父とほぼ同じ場所にあるやつだ。子どものころから変わらずに今もあるとは知らなかった。目を閉じる。聞くでもなく聞こえてくる誰か知らないひとの声。車中話がけっこう露骨であることも知らなかった。個人名に企業名、下品というかあまりに無防備で、やっぱり本を読むかねむりこけて過ごすほうがいい。この日、目の前に立ったふたりの男。社会人である先輩が就活中の後輩に世間のあらなみを語りながら乗ってきたふうである。目標を持て。どんな家に住みどんな結婚がしたいか具体的にイメージせよ。会社に入ってもそれだけに頼っているようではダメ......、続けて先輩は自分がやっている投資について語り出し、キミもやるべき、ボクを見ろ、こんなにうまくいっている、そう言った。後輩は、正直僕は車も家も欲しくない、とにかく今は内定が欲しいだけなんです、そう言った。降りる駅が近づいた。この短編のタイトルは何がいいだろう。「温度差」ではそのままに過ぎるか。電車がとまり、しつれいと言ってふたりを見た。やせていた。