無事に最終話の12話までを終えた「とんびの眼鏡」だけれど、この作品が専門誌に掲載されたコミックで終わるのか、さらに世に出て支持を仰げるのかは、これからの作業にかかっている。単行本として世に打って出るには、まず連載時の「右開き横組み」から常識的な「左開き縦組み」に加工する必要があった。より多くの人たちに目にしてもらうわけだから、読みやすくすることはマストな作業なのだ。
もっとも簡単な方法は、印刷フィルムを「裏焼き」にして使うことなのだが、裏になった描き文字などは、もちろん描き直す必要がある。ところが、そんなに単純な話ではない。裏焼きにすれば精密に描かれたカメラ本体も左右反転してしまうし、シャッターを押す指も左になってしまうのだ。登場人物の表情も、裏になれば微妙に変わってしまう。これらをいちいち手直しすることは現実的ではない。
吉原さんは考えに考えたあげく、コマをひとつずつカッターで切り離し、並べ替えるという手法を選択した。これは極めて有効ではあるけれど、途方もない作業だった。カッターでバラバラにしたコマを新しい原稿用紙の上に並べ、左開きに見合ったコマ割りを再構築して行く。コマの枠は違和感のないように、削ったり描き足したりする。12話すべてを完成させるには、膨大な時間が費やされた。
今ならスキャンした原稿をモニター上でコマごとに切り分け、並び替えはもちろん、ワク線もフキ出しも自在に加工することができる。生原稿に刃を入れることなしに、どんなカタチにでも修正可能なのだが、この時代では望むべくもない。だから完成した修正原稿は厚さが1ミリほどにもなり、1話分の20ページでもずっしりとした重さになった。この重さは、まさに吉原さんの努力の重さなのである。
これらの加工作業で吉原さんに支払うギャランティと、その制作時間を容認してもらうために、私は当時の編集担当取締役である見山さんに直接交渉し、OKをもらっていた。見山さんは、会社が手にする新たな「コミックという武器」の初弾となるこの作品を確実に展開させるには「必要な作業である」と判断してくれたのだ。しかし、大いなる手間と費用の発生には、ひとことイヤ味を言うことを忘れていない。
だけどこれは私たちに向けてではなく、カメラマン編集部の一杉編集長に対してだった。見山さんは「当初から正しい開きのまま進行させて、巻末で上下逆にして掲載すればよかったではないか」と一喝したのだ。私にはそんなアイディアは思いつかなかったから、見山さんのアタマの柔らかさに感心したのだが、一杉編集長は「そんなカッコ悪いことができるか」と反発していた。まぁ、無理もないのだろうが。
さて、このコミックを「どう売るか?」だけれど、私には明確な考えがあった。このときの月刊カメラマン誌の実売り部数は、3万部に届かない(それでもカメラ専門誌の中ではトップだった)ほどで、連載していたコミックの存在をカメラマン誌の読者以外が知っているとは思えない。そこで一度、総集編というカタチで廉価版を発売し、その後しっかりした体裁の単行本にするという目論見だ。
その単行本では、巻末にストーリーは実話がベースであることを初めて明かし、甲子園球場の銀傘の上に忍び込んだこと、川口の315メートルの鉄塔からの景色、首相官邸の退避防空壕の奥に設けられた脱出用トンネルなどなど、実際に撮影された写真を掲載する。私はこのアイディアを見山さんに告げると「船山の思うようにやってみろ。責任はオレがとってやる」と言ってくれた。これはとても嬉しかった。
しかし、廉価版の価格決定ではひと悶着が持ち上がった。単行本を展開する前に廉価版の総集編で作品を広く周知させるのは、講談社の常套手段であり「課長 島耕作」もこの手法を採っていた。私はそれが350円という価格であったことから、これより安価な300円、できれば280円の価格を付けてくれるよう、上申していた。だが価格に関してのクレームが来たのは「その7」で前述した大園常務からだった。
廉価版の総集編で採算を求めては元も子もない。廉価にすることは後に単行本を出すための布石であり、周知させるための広告だと考えてほしい。だけど大園常務は聞く耳を持たず、講談社より100円も高い450円という価格を押しつけてきた。承服できないと突っぱねたのだけれど、このとき見山さんは役員人事で、これも「その7」で前述した田中さんにその役を譲っていたから、援護してくれる人は皆無だった。
私は見山さんの腹心でもあった田中さんに、これまでの経緯を説明し、450円という価格ではコミックのプロジェクト自体が崩壊してしまいかねないと告げた。いいですか? ボクらが仮に、すっごく美味しいコーラをつくったとします。だけどコカコーラやペプシコーラ相手に、それより高い価格で販売して売れると思いますか? 田中さんは「そんな例えをしなくても言いたいことはわかるよ」と言ってくれた。
だけど後日、社長の林さんが私の席を訪れて「船山くん、申しわけないが、この価格を飲んでくれないか」と言ったとき、目の前が一瞬、暗くなったのを覚えている。「とんびの眼鏡・総集編」は、強気だった見山さんのアドバイスで、私の提案よりはるかに多い7万部という刷り部数が、すでに決定していたのだ。少しでも安い価格にするため、使用する紙はインクを過多に吸ってしまう文字どおりのザラ紙なのである。
いくら内容に自信があっても、450円という価格を付けられるシロモノではない。いったい何が起こっているんだ? 気を落としてばかりはいられない。次に控える単行本展開のために、新取締役の田中さんと販売部部長の永井さんを伴って、取次である東販へと向かった。コミックコード取得の交渉である。出版社が書店でコミックの単行本を販売するには、取次からコードの許諾を得ることが必須なのだった。
たとえば現時点でコミックコードを持たないウチの会社は「とんびの眼鏡・総集編」を、月刊カメラマン別冊とするしか販売手段がない。本誌別冊のコードでは書店は2週間しか置いてくれず、この短い期間に売りつくしてしまうことが肝要なのだ。だからこそ、その価格設定は最重要課題であったはずなのだが、もう遅い。コミックコードがあれば、出版社が絶版にでもしない限り、未来永劫、書店は置いてくれるのだ。
刷り上がったばかりの「とんびの眼鏡・総集編」を前に、東販の担当者は、まず吉原さんの絵柄に難癖をつけた。「こういう絵って、今どきウケないんですよ」はぁ?「それよりモーターマガジンさんは、どれだけコミックをやるつもりがあるんです? 単行本やるってことは雑誌と違って在庫管理するってことですよ? 倉庫はお持ちなんですか? 搬送用の車両や、そこに従事する人の人件費まで考えてますか?」
勉強不足とはいえ、こちらは目をシロクロさせるばかりだった。ビックリしたのは販売部部長の永井さんが、まったくフォローしてくれないばかりか、取次の肩を持つようなことまで言い出したことだ。あんた、いったいどっちの社員だ? 挙句の果てに担当者は「コミックコードを許諾してもいいが、その際にはモーターマガジン社が出版するすべての雑誌の掛け率(1冊あたりの取次の取り分)を見直す」と言う。
かなり後にわかったことだけれど、これらはすべてブラフだった。大手出版社ですら在庫管理のための独自の倉庫など持ってはいない。単行本の在庫管理に適した、しっかりした空調設備を備える倉庫は賃貸契約が一般的であり、異なる出版社同士が同じ倉庫を借りていることも珍しくない。そこに従事するスタッフは倉庫会社の社員であり、特定の出版社が彼らの人件費を負担していることなど、ありはしないのだ。
そんなことも知らず、狐につままれたようになった私の背中に、田中さんからの声が飛んだ。「船山、あきらめよう! ウチでコミックをやるのは最初から無理だったんだ」そうだったんだろうか? いや、何かが違う。私の知らないところで何かが動いているのではないか? 単行本が発売できないことを、吉原さんにどう伝えよう? 私のアタマの中には絶望と不安が充満し、考えがまとまらない。