東ジャワのポテヒ

本当は今月は映画「アクト・オブ・キリング」の感想(3)を書こうと思っていたのだが、重苦しい映画の感想を3か月にわたって書くのが辛くなってきた。というわけで、来月続きが書けたら書くことにして、今回は閑話休題ということにする。

5月末から2週間余りインドネシアに行ってきた。私も関わっている9月のポテヒ(布袋戯)公演とシンポジウムの準備のためで、東ジャワのジョンバン県にあるポテヒ団体Hu He Anの拠点を見に行って、そしてhu He Anが上演するポテヒ公演も2つ見てきた。というわけで、今回はその旅の報告。

5月25日ジャカルタから東ジャワのスラバヤ空港へ飛ぶ。朝8時半着。空港で団体からの迎えの車に乗ってジョンバン県へ。3時間の車の旅の途中、運転手に電話が入る。インドネシアでも3人しか残っていないという華人ダランの1人、ストモ氏死去の報で、彼の自宅から墓地へと直行。ストモ氏は華人文化を弾圧したスハルト大統領時代に8回も投獄されている人で、どんな人なのか会ってみたかったなと残念に思う。

同日3:00〜5:00はクディリ県の慈恵宮で、7:00〜9:00はトゥルンアグン県の慈徳宮でポテヒを見る。本当はどちらの会場も1日2回、3時からと7時から上演していて、それがポテヒ公演の定番らしい。ポテヒは寺廟に祀られている神様の誕生日を記念して上演される。今回は両寺廟とも天上聖母、つまり媽祖(まそ)に捧げられたものだった。媽祖の誕生日は今年は西暦4月22日だそうで、どちらの会場もその日から上演が始まり、クディリでは2か月、トゥルンアグンでは1ヶ月半も毎日上演が続く。連続ドラマみたいに1つの演目をずっと続けて上演し、毎回の上演の最後に、「次は○時から、お忘れなきよう!」と挨拶をする人形が出てくる。しかし1日2回公演×60日とすれば120話に及ぶ長編大ロマンだ。この間に本当に1つの物語しか上演しないのか、何10話かで終わったらまた最初からやるのか、それとも別の話をするのか聞き忘れた。お話の進行は割と定型化されているみたいだ。最初に武将の部屋が出てくる。これは影絵(ワヤン)の冒頭、王宮での重臣たちの会議シーンに似ていて、荘重な感じ。最後には戦いのシーンがきて、アクロバティックな人形捌きを見せてくれるのも同じ。

会場となる寺廟では、境内ど真ん中にポテヒを上演する小屋が建てられ、寺廟の内陣に向かって上演する。明らかに神様に見てもらうための上演という体で、私以外にほとんど観客がいないし、観客席の数も少ない。観客がずっと見ているという状態を前提にしていなさそうだ。私も、ポテヒを見るのは初めてだが、寺廟に足を踏み入れたのも初めてだったので、ポテヒを見つつ、境内をうろうろしたり、ポテヒをやっている小屋の中を覗き込んだりしながら、その場の空気を満喫していた。しばらくすると子供がやってきて見入り、子供についてきたお母さんも一緒に腰を下ろす。その子は、私が小屋にずうずうしく入るのをうらやましそうに見て、ちょっとついてきたりする。この子も将来のダラン候補だろうか。よく見ると、ちょっと向うの方で所在無げなおじいさんが、煙草をふかしつつポテヒを見ている。最後まで見ているから、実は好きなんだろう。こんな風に見ているのは、きまってジャワ人だ。そして、上演側にもジャワ人が多い。Hu He Anのグループでも後継者の多くは華人系ではなくジャワ人だ。クディリでダランを務めた人もジャワ人だが、彼曰く、寺廟の近くに住んでいて、いつもポテヒを見に行っているうちに好きになって参加するようになるというのが、ポテヒにハマるだいたいのパターンらしい。

ポテヒの舞台では、場面転換になるたび椅子と机が出てくるが、ジャワの芸能もの――影絵を人間で上演するワヤン・オランとか大衆芝居クトプラ――では出てこないから新鮮だった。ジャワの王の玉座はポテヒの椅子と違って、背もたれがない。家臣団は床に座るから椅子がいらない。で、字が書けなくても王は務まるなどと言われるくらいだから(オランダ植民地時代は傀儡だったので)、あまり王と机はイメージ的に結びつかない。中国はさすが漢字文化の国だけあって、机と椅子が王やら武将らの重要アイテムなんだ...という点に感心する。

他にポテヒで印象的だったのが、見せ場として歩くシーンがあること。ジャワの影絵人形には足があるけれど、地面が両足にくっついているので、足を動かすことができない。これは人形の形が崩れないようにするためかもしれない。また、ゴレッ(木偶人形)にも足がない。下半身はスカート状になっていて、人形遣いがスカート部分に手を入れて人形を操作する。ポテヒも人形の胴体部分に手を入れて操るのだが、人形には足がついていて、人形を持つ手と逆の手を使って、足を蹴り出させている。しかも歩くシーンが意外にゆっくりと長くて、ジャワ宮廷舞踊の冒頭のルマクソノ(歩行)のシーンをみているような心地がする。大臣らの重々しい足取りの表現はなかなか素敵だ。舞踊の場合は歩く姿でキャラクターを表現することが大事だが、ポテヒでもそうだという。でも、足を見せて歩くシーンは全体の中で限られているし、なぜわざわざ足を作るんだろうかと不思議にも思う。

影絵人形やゴレッでは、足の表現がない一方、手の肘関節は曲がるので、合掌したり、セリフに合わせて手を動かしたりという手の所作が多くなる。これらの人形のプロポーションは、胴体に比して手が細く長く作られているから、手の所作が繊細だ。一方ポテヒでは、親指と中指から小指の3本で人形の右手と左手を遣うことになる。人形遣いが指の関節で曲げれば、人形の肘を曲げる所作も可能だが、いかんせん人形の腕の長さ自体が短いので、手の動きが魅力的には見えない。けれど、人形が椅子や本を運んだり、ハタキ?でパタパタとその辺りをはたいたり、武器を手に持って戦ったりすると、全身で動いているように見えて、思わず「どっこいしょ」とか声をかけてあげたくなる。たとえ髭のおじさんであっても、所作がけなげに見える。

この人形も、今では東ジャワで作っている。私が訪問した寺廟では、その一角で夜に数人が作業していた。そのせいか、人形の顔も微妙にジャワ化している。Hu He Anの代表者が持っている古い中国からの人形と見比べてみると、よけいにそう思う。そして、人形遣いの語りもまるでジャワのダランである。しかも、実はクディリでは寺廟と川を挟んだ向こう岸にプサントレン(イスラムの寄宿舎)があって、そこからお祈りの声が聞こえてきたのだが、ポテヒの語りともなじんで全然違和感を感じなかった。土着のイスラムとポテヒが溶け合っている。一方で、ポテヒが終わるや否や寺廟内の別の建物からポップな社交ダンスという感じの音楽が流れてきたのには、あまりの違和感にくらくらときてしまった。ここに集まっていたのは信者の男女のようで、終演まで音を出さない気遣いはしていたけれど、彼らはポテヒには関心がなさそうだ。

というわけで、ポテヒを見に行ったのだが、そこでジャワと出会った、みたいな感じの旅だった。