戦時下のクルディスタン

先日伊勢市で講演を頼まれた。「戦争の悲惨さを伝えてください」とのことだった。

今の戦争はえげつない。たとえば、Iraq, Syria, beheaded というキーワードで検索すると、「イスラム国」が、敵の兵士や民間人を斬首する映像が出てくる。僕たちの支援している難民たちは、こういった恐怖から逃げてきた人たち。今起きてることをしっかりと伝えなければとプレゼン資料を作ってみたが、あまりにもえげつないので、出せない。

クルド自治区は、ペシュメルガと呼ばれる軍隊がしっかりとガードを固めているので、「イスラム国」は手も足も出ないだろうとの見方も崩れ、8月6日には、ペシュメルガも100人以上が殺されてしまった。そして、オバマ大統領も重たい腰を上げて空爆に踏み切ったのだ。

ともかく、何とかしなくてはということで、日本でのスケジュールをすべてキャンセルして、8月20日に、アルビルに入った。アンカワという小さなキリスト教地区があるが、避難民でごった返している。教会の敷地内に設営されたテントや、立てかけのビルや学校が避難所になっている。親戚に身を寄せて、その日その日を乗り切っている人たち。約2週間目になり、日中は45℃を超える暑さ。夜になっても、さほど気温は下がらない。避難民たちもかなりイライラしている。

教会の前には野戦病院のテントが出来ており、カラクーシュという村から避難してきた脳腫瘍の男の子が横たわっていた。アーサー君11歳だ。一年前に手術をして様態はよくなっていた。ところが6月、「イスラム国」とペシュメルガの間で戦闘が始まると、アーサー君は爆発音や銃声におびえ、おじいさんに抱き着いて震えていたという。いったんは、アルビルに避難したが、6月26日には状況が落ち着いたので、カラクーシュにもどった。しかし、体調がどんどん悪くなり、痛みで立てなくなってしまった。8月5日、アルビルでCTを取った。800ドル払わなければならなかった。カラクーシュに戻ると、翌日には、「イスラム国」が攻めてくるので、ペシュメルガが撤退するというのだ。あわてて、子どもたちと一緒におじいさんの家まで避難した。しかし、すでにペシュメルガが撤退を始めており、車を見つけることができず、一家は孤立してしまった。親せきが、キリスト教の民兵に連絡を付けて、車を回してくれた。すでに夜の10時を過ぎていた。家族13人が2トン積みのトラックの荷台に乗り込んだ。アーサーは痛がって泣いていた。

そして、カラクーシュを出発し、最後まで残っていたペシュメルガの車が自分たちのトラックを追い抜いて行った。朝方2時30分に、ハーザルというアルビルに入る検問所で止められ、車は中に入れないというので、一夜を明かす。そして翌朝10時に、お父さんはアーサー君を担いで1キロ歩き、アルビル行きのバスに乗り込んだ。家族で膝にマットレスをのせて、その上にアーサー君を横たえた。アルビルにつくと、すぐに病院に連れて行ったが、がんが全身に転移しておりもうどうしようもないといわれた。4日間入院したが、家族と一緒にいたほうがいいだろうと、教会の避難所に戻ってきた。しかし、テントもない状況だったので、近所の人がアーサーを引き取って休ませてくれた。私たちも変わりばんこで様子を見に行った。しかし、いつ死んでもおかしくない状況だ。近所の人たちも、様態が悪化したらどうしようもないので、これ以上面倒を見るのをいやがった。ちょうど数日前に、避難所に野戦病院のテントができたので、アーサーは、そこで寝ている。ヨルダンの医師が野戦病院に様子を見に来てくれる。アーサーは日増しに様態が悪くなっている。

今回、私は、さらに北上して、ザホーやドホークに避難しているヤジッド教徒(ゾロアスター教に近い)の避難民への支援も実施した。そこでは、建築中のビルなどいたるところに住み着いている。その数は12万人を超えているという。まずこの数に驚く。焼け石に水と揶揄されようが、ともかくこの暑さ、水を持っていくくらいしか手がなかった。間もなくUNが大規模な支援を開始すると聞いている。状況が改善されることを期待するしかない。9月になったら、また出直す。アーサー君にも再開できるだろうか?