夜中のフライトで、アンマンからアルビルに飛ぶ。飛行機の中で夜が明ける。地平線から真っ赤な太陽が顔を出すとあっという間に、周りは明るくなる。9月も終わるというのにまだまだ日差しが腕に刺さってくる痛さ。
クルディスタンについて真っ先にキリスト教地区の避難民テントに行ってみる。「イスラム国」に追われて逃げてきた脳腫瘍の男の子アーサー君は生きているだろうか。仮設テントのベッドの上でほとんど意識もなかった彼が元気になっていたらそれは奇跡だろう。
「アーサー君は?」「10日前に亡くなったよ」
やっぱり奇跡は起こらない。
数日後、僕たちが支援している小児がんの病院に行き、担当のペイマン先生と話す。ベイジというところから避難してきているアハマド君のことを思い出した。ベイジは石油の製油所がありイスラム国が支配している。
「アハマッド君は?」「20日ほど前に亡くなりましたよ」
アハマッド君のお父さんは、精製所の中で、園芸の仕事をしていたけども、アハマド君を連れてアルビルまで逃げてきた。アハマド君は再生不良性貧血で化学療法を受けていたが、薬の効き目がなく海外で骨髄移植するしか生きる望みはないとのこと。僕はペイマン先生に呼ばれて、「お父さんがお金は何とかかき集めると言ってる。問題は、海外に行くためのパスポートをイラク政府が発給してくれないのよ。何とかならないかしら」と相談されたのだ。
イスラム国が勝手に国を宣言してパスポートを発給するというから、バグダッドのパスポートセンターは、ベイジにいる人間はイスラム国のパスポートを使えと突き返したのか? それで僕は怒りに震え、パスポートを持つのは当然の権利。人道的な理由から即座にパスポートを出すべきである趣旨を書いてあげた。ぼくのレターがどれだけ効き目があったのかわからないが、9月頭に会った時は、お父さんはうれしそうに、「パスポートは発給してもらえることなったんだ」といっていた。「私がインドの病院と話をつけてあげたの。骨髄のマッチングも彼の弟で90%でしたので、お父さんも車を売ってお金の準備を始めました。」後はパスポートだけ。しかし、その前に、アハマッド君は体調が急激に悪化し、亡くなってしまった。翌日、イラク政府からパスポートが届いたという。
他にも「あの子はどうしてますか?」と聞きたい子どもがたくさんいるが、聞けなくなってしまった。
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