東京の下北沢にある本屋さんB&Bで4月から毎月1回開催されてきたイベント、『片岡義男と週末の午後を』の9月13日のゲストは町山智浩さんだった。6回シリーズの最終回にふさわしく、愉快に盛り上がった2時間半だった。このシリーズは、作家の川崎大助氏が構成、司会を担当し、4月はブルータス編集長の西田善太さん、5月は作家の堀江敏幸さん、6月は写真家&作家の大竹昭子さん、7月は翻訳家の鴻巣友季子さん、8月は翻訳家の小鷹信光さんをゲストにむかえた。毎月1回の週末の午後は、あっという間にめぐって来たけれど、春が過ぎ、夏が来て、秋になり、季節は確かに過ぎた。お気に入りなのか、同じデザインのシャツで通した片岡さんとすごす特別な土曜日だった。
町山智浩氏は1962年生まれの映画評論家。B&Bのホームページに掲載された前口上によれば、―『宝島』編集部を経て『映画秘宝』を創刊、渡米後も大活躍の町山さんは、「テディ」時代から片岡義男作品を愛読していました。拳銃、アメリカ犯罪小説、ビートルズ、オートバイ......若き町山さんが「片岡義男というフィルター」を通して垣間見た、まばゆいばかりの「男の子文化」の世界とは何だったのか? 神保町古書店片隅のペーパーバックから現実のアメリカ大陸まで、ポピュラー・カルチャーを足がかりに駆け抜けた先達(片岡さん)と後輩(町山さん)が、熱く語りつくすもろもろ、たっぷりお届けします。―との事だ。
町山さんの片岡作品との出会いは、KKベストセラーで発行されていたジョーク本だったという話から対談はスタートした。1974、5年頃、小学校でジョーク本のブームがあって、片岡さんがしとうきねお氏と組んで作っていたジョークやいたずらの本が好きだったという。その後片岡訳の『ビートルズ詩集』のお世話になり(安い洋盤を買っていたので訳詩が付いていなかったのだ)パイオニアのCM「ロンサムカーボーイ」の影響を受けて、荒野で缶ビールを撃ってみたくてアメリカに渡ったというのが町山氏の物語だ。
さあ、色々と聞いていきますよという矢先に、片岡さんは、やわらかい声で「みんな冗談です」と静かに言ったのだった。あれを真に受けたの?と、やさしくなだめるように。いたずらが成功した時のようにうれしそうに。
真剣に聞き入っていた話を「冗談だよ」と言われたら、普通は「なーんだ」とがっかりして、ちょっと怒ってその話を手放してしまうものだけれど、片岡さんに「冗談だよ」と言われるならば「ええ、分かっていました」と、できれば共犯者的な笑顔でその言葉を受け止めたい。町山さんも「冗談」と聞いて、がっかりしているようにも、もちろん怒っているようにも見えなかった。
片岡さんが"冗談"に独特の意味を持たせているのは分かったので、注意深く耳を傾けていると、映画「激突」のおもしろさについて話している時に、冗談とは「抽象的な高みにあがること」という言葉がつぶやかれた。リアリズムの世界に張り付いて生きるより、"冗談"によって現実から浮き上がった方がおもしろいよという事らしい。笑い飛ばせる距離まで現実から離れること、それが抽象化ということなのだろうか。
片岡さんの"冗談"を真に受けて、拳銃やアメリカを体験した町山さんだが、片岡作品を追体験してみて、「なんだ、実際は違うじゃない」と思う事はなかったと話していたのも印象的だった。片岡さんによれば「"冗談"を成立させるためのリアリズムですから」ということだ。
イベントも終わりに近づき、鞄を持って退場という頃に話された、ロックンロールについての話も心に残った。町山氏は、片岡さんが「ロックとは嫌なんだ、嫌だと思う事だ」と書いていたのにとても影響を受けたと語り、映画を見たり、音楽を聴いたりして好きなもの、嫌いなものがあるけれど、「自分は現実を肯定しているものは嫌なんだと分かった。現実を肯定するなら、芸術は要らないじゃない?」と語った。それを受けて片岡さんは「町っ子がロックに行き、田舎にいた子はブルースマンになった。町っ子はティーンエイジャーとして守られた時代があるからロックンロールに行った」と話していた。「町っこがやってられなくて、西部に行ったのがビリーザキッドだった」という片岡さんの言葉に対して、町山さんは「ロックが出た時、反抗の手段が初めて銃でなくなった」と返していた。町っ子(シティボーイ)の片岡さんもティーンエイジャーとして守られていたから、冗談を言う余裕があった。片岡さんにとっては、銃ではなく、言葉だったのだろう。