台湾とインドネシアのポテヒ(布袋戯)

9/17〜23まで、事業「アジアの人形芸能:ポテヒ(布袋戯)日本公演 ―台湾とインドネシアから―」の実行委員として関わってきた。というわけで、今回はそのお話。

まず、この企画は大正大学教員の伏木香織氏の発案によるもので、日本、台湾、インドネシア、マレーシア、シンガポールの研究者による国際プロジェクトである。中国福建省にルーツを持ち、台湾や東南アジア(インドネシア、マレーシア、シンガポールなど)にかけて広がったポテヒ(布袋戯)指人形劇に関する共同調査をして、まずは最初の成果をこの9月にシンポジウムとして発表すると同時に台湾とインドネシアのポテヒを日本で紹介し、来年以降に出版とDVD発売をし、さらに他の国々でも関連事業が始まる予定だ。

今回日本に招聘したポテヒ団体は、台湾は台北の台原偶戯団とインドネシアは東ジャワ州のFu He An(漢字表記では福和安)。台湾ではポテヒが国を代表する文化表象となっていて、ポテヒ専用のテレビチャンネルもあれば、ポテヒのコスプレをする若者もいるという。つまりそれだけポテヒが娯楽として浸透し、そのぶん新しい影響も受けている。台原偶戯団はその中にあって伝統的でクラシックな路線を維持しているが、オランダ人の芸術監督、ロビンのもと30か国以上で公演し、創作も多く手掛けていて、日本でも2009年に『SPAC春の芸術祭2009』(静岡芸術劇場)に招聘されている。一方、インドネシアでは2000年代初めまでの30数年間、華人文化が禁止されていて、専門家にもインドネシアにポテヒがあることはほとんど知られていない。今回、海外初公演となるFu He Anは、厳しい政治の下、ジャワの田舎の寺廟で細々とポテヒを継承してきたので、意外に古い要素を伝えている。けれど、言語はインドネシア語に置き替わってしまっているというのが他国でのポテヒ継承状況と異なる点だ。

台湾の上演メンバーは2人の人形遣いと演奏家兼歌手の3人で、うち2人は女性という構成。インドネシア組は2人の人形遣いと3人の演奏家で全員男性、メインの人形遣いが語りもする。2団体の特徴をざっくり比較すると、イケメン・ヤング台湾組と、メタボ・おっさんインドネシア組である。もっとも、インドネシア組には今回の滞日中に26歳になったというイケメン・ヤングが1人いて、彼が両者をつないでいた感がある。

上演内容で比較すると、台湾組は古典作品をオムニバス風にアレンジし、語りがなく音楽・歌と人形さばきで魅せる舞台。美しい歌声にのせて美男美女人形が繊細に動くシーン、人形が煙草の煙を吐くシーン、華麗な手さばきで演じる戦いのシーンと、短いながらも変化のある場面をテンポよく展開する。二胡代わりのバイオリンの音は甘美で、男性や女性の歌声は官能的で、そのメロディーがずっと耳に残る。美しいなあ〜、こんな世界もあったんだなあというのが正直な感想。

一方、インドネシア組は伝統的なポテヒのやり方で、1人の人形遣いが声色を変えて全人物を演じ分けながら、物語をずっと語り続ける。その点はワヤン(影絵)とも共通している。最初は王や大臣が出てくる重々しいシーンから始まって、最後は戦いのシーンというのもワヤン(影絵)の展開に似ている。1人の人形遣いによる語り芸というのは、ワヤンを知る人には珍しくないのだが、この種の芸を初めて見た人にとっては驚きだったようで、とにかく語りの迫力に圧倒されたという感想をいくつも聞いた。音楽は二胡も使うけれど、打楽器やチャルメラの音が目立ったかもしれない。台湾の洒落た演出と比較すれば素朴な展開だが、インドネシアの舞台は終わったあとに何か心に残るものがある。それは何だろうと思ったのだが、もしかしたら心象風景にあるお祭りのイメージをかきたてられたからかもしれないと思い至る。いつも春頃に廻ってきた神楽の笛や鉦の音、秋祭の雑踏...。そういうものを楽しみにしていた子供の頃の自分が蘇る。そういえば、神楽や秋祭を担っていたのも、こんなおっちゃんたちだったなあ...。

こんな対照的なグループだが、それぞれに事業から得るところがあったようだ。インドネシア組は長らく内内でポテヒを継承してきたため、自分たちが伝えてきたポテヒの福建語の部分(人形の登場シーンで使われる詩)の発音がどの程度正確なのか、不安があったようだ。(台湾の人たちは、自分たちと同じ語りだ、意味も分かると言っていたけれど。)その発音を台湾に行ってきちんと習いたいとか、台湾の人形遣いの技を習いに行きたいとか台湾グループにいろいろと相談していたので、それが実現すると嬉しい。一方、台湾組は台湾組で、インドネシアのポテヒの古さを発見したようだ。インドネシアでは、人形遣いは座って上演するけれど、台湾グループは立って上演する。けれど、台湾の人形遣いのLaiさんによれば、彼の師匠のお父さん(=李天禄氏)世代までは座って上演していたらしい。その世代のやり方がインドネシアにはまだ残っていて、人形舞台に照明をあてるやり方など、グドの舞台は台湾の古いポテヒのスタイルと同じだと言う。それから「ジャワのワヤン・ポテヒ」の本に採録されているFu He An団長のコレクションの古いポテヒ人形の中には、中国のものだけでなく明らかに台湾にしかないデザインの人形もあると指摘していた。またロビンは、インドネシア側が何のキャラクターか分からないと言いつつ展示していた人形頭部の1つを指して、これは台湾では劇神の人形だよと指摘していた。インドネシアでは劇場と関係の深い神への信仰も弾圧されたので、分からなくなっていたのだろう。

東京と横浜で合同で公演やワークショップをしてきた彼らも、最終日の23日は台湾組が東京で、インドネシア組は奈良県で別々に公演。私はインドネシア組についたのだが、22日の夜、奈良の宿泊施設で皆の部屋から聞こえてくるのは台湾組のポテヒの録音の麗しい声。まるで台湾の宿に泊まったみたいだった。皆も台湾組と離れてちょっと寂しくなったのかもしれない。翌日の公演後は、主催をしてくれたNPO大和社中の人たちと一緒に懇親会をしたのだが、社中の人たちもおっさんばかりだったので、普通の酒盛りのノリになる。社中の人たちから、おそるおそる「1曲だけ自分たちのために二胡を弾いてもらえないかな...」と乞われると、待ってましたとばかりに演奏が延々と始まり、社中側からも手拍子が始まってやんやの騒ぎ。日本側が「二胡があると、お酒がすすむね〜」なんて言えば、インドネシア側も一升瓶を抱えてグビグビやっている。それまでも、毎日のイベントが終わると台湾組とインドネシア組の演奏家たちの間で即興演奏が始まっていたのだが、あくまでもセッションと言う感じでこういうノリではなかった。もっともお酒も入っていなかったが。都会派の台湾ヤング組がここにいたらどんなノリになったんだろう...。「おじさんは嫌ね...」とか思われたかも。

●事業の公式サイト
アジアの人形芸能:ポテヒ(布袋戯)日本公演 ―台湾とインドネシアから―
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