製本かい摘みましては(103)

台所で、皿を落としてうるさがられたあと翌朝の米をとぎながらがっくりしている母の姿におぼえがある。一人暮らしをはじめてまもなく、自分も同じことをするのに驚いたこともおぼえている。洗いものや布巾がけをしていると指先がすべる。雑にしているつもりはない。その自覚がないのが雑ってことか......。いずれにしても血筋を言いわけにのりきってきたけれど、おとといもご飯用の土鍋が欠けた。炊くのに支障はなさそうだ。落ちていたかけらを拾う。真新しい傷にあてて詫びる。根津美術館で『名画を切り、名器を継ぐ』展を見たばかりだ。東急ハンズで「金継きセット」を買ってもうちでは無駄にはならないかもしれない。

根津美術館にあった丸い大きな白磁の壺はすばらしかった。立ち姿にぞくっとした。そこにあるということはどこか継がれているはずだが、まわりこんで見てもわたしにはわからなかった。説明を読む。寺に盗みに入った男がそこにあった白い壺を叩きつけて逃げた。警察はその破片を証拠品として執拗に集めた。のちに美術館に寄贈され修復されることになる。粉のようなかけらまで揃っていたことで、もともとあった黒漆の繕いまでも復元することができた、とある。志賀直哉が東大寺に譲ったものらしい。改めて眺めても継ぎ跡はわからない。この壺自体の持つ魅力が、関わる人のさまざまな力を引き出してしまったとしか思えない。この壺は明らかな修復復元だが、会場には意図的に改造されたものや最初からパッチワークされたものもおしなべて展示してあり、それぞれの銘が可笑しく読めるのがなおさら楽しかった。

書画もあった。いろんな事情でその一部を切り取って改変されており、こちらもまずそのままに好ましかった。抜群のトリミングで美しく表装された小さな古筆切や古絵巻は、段ボールの中に入れられたオランウータンがひとつだけ開けられた小さな穴から達観した瞳をのぞかせているようで、と言っても目玉はからだから切り取られているという設定なわけだけれども、生きたオランウータンがそこにいるような、と言っても本物のオランウータンだったらこんな風に間近に見つめることはできないわけで、とにかくよくぞ今日までたくさんのひとの手をわたって生きながらえて、わたしの目の前にさえ現れてくれたものだと思う。

巻物を切断した掛物が多い中、冊子を解体したものもあった。まず、『継色紙「よしのかわ」伝小野道風筆』。もとは全紙の長辺を三分割したものをそれぞれ二つ折りにして背側を糊で貼り重ねた粘葉装の枡形本で、糊付けされていない内側だけに書く「内面書写」がなされていた。複数の色の鳥の子紙が用いられたようで、見開きに和歌一首を散らし書きするのが原則だが、左頁から書いて色の異なる次の紙の右頁にかかるように書くこともあり、そういう2枚を、いくぶんの段差をつけて並べて掛物にしてあった。真ん中の折り筋部分がやや黒ずんでいる。ここで切り落としてもよかったものを、そうしなかった誰かがいた。それを汚れとはわたしにも思えない。「よしのがはいわなみたかくゆく水の はやくぞいとをおもひそめてし」(『古今和歌集』巻第11・恋歌1)。冊子の状態で加賀の前田家に伝わっていたものが明治39年に分割売却。『万葉集』『古今和歌集』他からの和歌が記されていたようだ。

もうひとつ、『白描絵入源氏物語残巻』。もとは『源氏物語』に適宜白描の挿絵を入れた粘葉装の冊子本で、それをばらして表裏2枚にはがして金地の屏風に貼り込んでいたようだ。表裏を2枚にはがす、というのは、表裏に描かれていたものをはがしてつなげていたことがわかった『鳥獣人物戯画』と同じようなことなのかどうなのか。改めてそのときのニュース映像を探して見る。高山寺所蔵の『鳥獣人物戯画』4巻のうち丙巻は前半が人物戯画で後半が動物戯画だが、前半と後半はもともと1枚の紙の表と裏に書かれていた。2009年から4年がかりの修復の過程で、薄墨のような汚れが他の場所の絵柄と似ていることに気づいて調べてみると、裏返して重ねたら濃い墨が塗られたところと一致、つまり、反対側の濃い墨のにじみが汚れのように見えていたというのだ。再現している映像もあった。どれもこれも、目の前にあるものをまず十分に見つめることをする人たちがつないできた仕事である。