アブ・サイードがやってきた

イラク戦争時米軍の空爆で、大怪我をしたムスタファ。当時8歳が20歳になった。あの大怪我から良く立ち直ったと思う。今では、不自由なく歩けるようになった。ジャーナリストの土井敏邦さんが取材してTVで報道されたので、募金が集まり、手術を受けることが出来たからだ。

今回は、私たちのローカルスタッフのアブサイードが世話役として一緒に来日し、スピーキング・ツアーを行っている。東京、沖縄、福島、長崎を回る予定だ。

一日、土井さんに預けて鎌倉見学をすることになった。同行したスタッフからメールが入り、「アブサイードが泣いています」「え? ムスタファじゃないの?」後で聞いてみると「ドイさんとは、ファルージャとか危ないところにいって、取材を手伝ったんだ。10年ぶりにあったので思わず泣いてしまったんだ。」とアブサイード。ムスタファは、「僕も泣いちゃったけど、誰も気がついてくれなかったよ」
主役を食ってしまったアブサイード。

スピーキング・ツアーではほとんど出番のないアブサイードだが、彼自身の生い立ちがおもしろい。1953年にバグダッドで生まれた彼はパレスチナ人。両親はハイファの出身で、1948年のイスラエルの建国で、父は銃を取り、家族は、トラックに乗せられイラクへと避難した。数年後父は、ようやくバグダッドの家族を探し当て、アブサイードが誕生する。17歳のときはPLOに参加する。

その話は、みんなの前でしてもらおうと、急遽パレスチナ関係者を集めて、囲む会を開催した。アブサイードはしょっぱなから飛ばしまくった。

パレスチナ人は、政権下では、小さなアパートに家賃も払わずに暮らしていた。サダムが接収したアパートを、パレスチナ人にあてがったのだ。サダム政権が崩壊すると、大家だと名乗る男たちが、銃を持って追い出しにきた。お金に苦労していたアブサイードは、たまたま道端で出会った僕に仕事をくれと擦り寄った。アブサイードはいかに情けなくすがりついたかを説明した。

バグダッドを追放された友人を紹介すると、目に涙をためて、「バグダッドで起こったテロは全てパレスチナ人のせいにされた。そして、何もかも奪われ、これからも奪われ続けるのだ。人間としての権利が奪われてしまった。なぜなら、パレスチナ人だからだ!」アブサイードの涙は、説得力があった。彼の額に刻まれた皺は、じじいのしわでなく、パレスチナの尊い歴史が刻まれていた。少なくとも私には輝いて見えた。おそらく、会場にいた全ての人たちにとってアブサイードは、太陽のように光り輝く爺さんに見えたと思う。

翌日は、ムスタファ君の話を聞く会だった。11年前の映像を見ていると、隣でアブサイードの目頭が熱くなり、涙があふれていた。「また泣いている。。」どうも涙腺がゆるくなってしまったらしい。

こんな爺さんを、いつの間にかスタッフにしてしまい、給料を払い続け、日本にまでつれてきてしまったこと。僕は後悔はしていない。いや誇りにすら思っている。

11月8日は、東京での記念イベントです。
是非皆様お越しください。
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