ナイジェリア出身のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェという作家の短編に『セル・ワン』とう作品がある。拙訳『明日は遠すぎて』(河出書房新社刊、2012)に入っている短篇だ。ここにあまやかされて育つ兄と、それを冷静な目で見つめる妹が出てくる。語り手は妹のほうだ。家族は経験なカトリックで、両親が遠くの祖父母に会いにいったある日曜日に、2人はティーンエイジャーの兄が運転する母親の車で教会にでかける。ところが礼拝の途中で、この兄が姿を消してしまい、礼拝が終るころに素知らぬ顔で戻ってくる。なにをしに外へ出て行ったかというと、なんと、自分の家に強盗が入ったようにみせかけて、母親の宝石をくすねるためだったのだ。
この短篇を訳しているとき、北の土地ですごした幼いころの記憶が、ぼんやりとよみがえってきた。
もの心ついたころから、毎週日曜の朝は隣町の教会へ通っていた。父母がクリスチャンだったからだ。両親より一足早く、1歳ちがいの兄とふたりでバスに乗って、日曜学校に出席した。そこで子供向けの短いお話や紙芝居などがあって、それが終ると大人の礼拝が始まる。子供たちも、もちろん親のそばに腰かけて、牧師さんのお説教を聞くのだ。
礼拝の終りに賛美歌を歌うころ、献金袋がまわってくる。黒いビロードの布でできた巾着みたいな袋で、取っ手がついていた。その取ってもまたビロードでくるまれていた。列の端からまわってくるその袋に、めいめいがささやかなお金を入れるのだ。子供たちも小銭をもたされた。たいてい10円硬貨だった。お祭りのおこづかいが50円か60円の時代、子供にとって10円というのはなかなかのお金だった。バラ売りの大きな飴が2個は買える。
両親がなにかの理由で来られない日、兄はこの10円を積極活用した。5円玉2つに両替して、1個を献金袋に入れ、もう1個で飴を買ったのだ。それはやってはいけないことではないのか、そんなことをすれば神様の教えに反して、悪い人になってしまうのではないのか、と幼女はあれこれ心を悩ませながら考えた。
アディーチェの短篇では、主人公は兄のことを両親に告げ口したりはせずに、じっとこらえている。それは、どうみても自分より兄のほうが特別扱いされ、それが社会的常識としてまかり通ることを知っている者の知恵だったのかもしれない。
一方、戦後の北の新開地で、周囲の男尊女卑の風潮にはっきりと異を唱え、自分の子供は男の子も女の子も平等に育てるのだ、と固く決意した母親に育てられた幼女は、悩んだすえに、母親に兄の献金のことを告白した。早い話が告げ口である。
その結果、兄がしかられたのかどうかまではよく覚えていない。覚えてはいないけれど、それからしばらく、兄がなんとなくよそよそしく、冷たかったことは確かだ。思えばあれは、兄と妹の決定的な亀裂の始まりだったのかもしれない。