『三里塚に生きる』にエールを!

映画『三里塚に生きる』が、11月22日よりロードショー公開された。小川伸介監督による"三里塚シリーズ"第一作『日本解放戦線・三里塚の夏』の撮影を担当した大津幸四郎が、再び三里塚に生きる人々にキャメラを向け、『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』の代島治彦と協同で監督を務めたドキュメンタリーだ。

「三里塚」という言葉は、激しい抵抗運動のイメージと共に記憶している。子どもの頃、テレビで見たのは、倒される鉄塔や放水の中抵抗するヘルメットを被った過激派学生の姿だった。代島氏が、「今では反対闘争は過激派が主役だったように見られています。農民たち、というより「百姓」が闘った真意はつたえられてきませんでした。」とインタビューで語っているが、『三里塚に生きる』を見ると、この地に暮らした農家の人たちがなぜ闘ったのか、そして今でも何も問題は解決されていないのだということがわかる。

2012年に『日本解放戦線・三里塚の夏』がDVDになった時、解説役を引き受けた大津氏が何度も作品を見返すうちに「機動隊と対峙していたおっかあたちはどうしているのだろう」「若者たちはその後どんな人生を歩んだのかな」と気になりだし、「会いたい」と思うようになったのが、この映画製作の発端だという。そんな素朴な気持ちが根底にあったから、今も三里塚に暮らす人たちからの言葉を受け取ることができたのではないかと思う。

2012年の夏に撮影に入った時、今も反対運動の中心にいる柳川秀夫さんは、「過去のことは絶対に話さない」と言っていたそうだ。しかし、農作業をしながら、出荷に向けた袋詰めをしながら、代島氏の質問に対して少しずつ話してくれるようになる。代島氏がむける問いは、柳川氏自身、何度も反芻したであろう問いだ。

映画では、三里塚に暮らした様々な人の、様々な決心が語られる。農地を売って去った人、三里塚に残り続ける人、闘争を和解に終結させた人、正解のない問いのなかで、それぞれが究極の選択をすることになる。そして、誰が見ていようが、いまいが、選択した以上、その決心の厳しさを引き受けて生きていく。

映画のパンフレットに寄せている代島氏の言葉が心に残る。
いま私たちは「生きるたのしさ」ばかりが大好きで、
「生きるかなしみ」を嫌い、そしてなかったことにしてはいないでしょうか。

もうひとつ映画を見て心に残ったのは、「連帯」ということの尊さだ。長い時間をかけてねばり強く交渉し、大木よねさんの畑を空港内の敷地に取り戻した小泉英政さんは、支援者から農民になった人だ。強制的に自宅が収容された大木よねさんが本当に望んだことを引き継いで、彼は三里塚に生きている。腰をかがめ、何度も往復しながら種を撒く小泉の姿がじっと映しだされる。7歳で奉公に出され、苦労の連続の生涯を送ったよねさんは、闘争宣言のなかで、闘争は楽しかったと言い、「もう、おらの身はおらの身のようであって、おらの身でねぇだから、おら、反対同盟さ、身あずけているだから」と言う。闘う事を通して掴んだその言葉の深さにはっとさせられる。

「連帯」というのは少しおおげさかな、他者を自分のなかに入れて生きるということだろうか、柳川秀夫も小泉英政も、自分の都合だけで決めない人たちなのだ。三里塚に今も生きる人が気になって、会いたいと思った大津も、代島も同じように連帯の人たちなのだと思う。

この映画をたくさんの人に見てもらいたいと思う。見ることで、制作者にエール(連帯の挨拶)を送りたいと思った。

☆「三里塚に生きる渋谷ユーロスペース(12月19日まで 12:20/15:10/18:15)